朝比奈隆指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第8番(1997.3.6Live)を聴いて思ふ

buckner_8_asahina_nhk宇宙の鳴動などと評されるその音楽の質は、他に類例を見ない深遠さ。
とはいえ、形ばかりをなぞり、内容が伴わない演奏も多々ある中で、真に本物の音楽に出逢うことは人生に中でも稀。それは精神性などという言葉では表し難い、強いて言うなら作曲者の魂と同化した創造物。

実演に触れることが重要だ。
時間と空間を演奏者と共にする、同時に大勢の聴衆とその音楽を「同時に」分かち合うことは、音楽体験の崇高さの大きな一面だ。朝比奈隆が1997年3月6日にNHK交響楽団を振って再現したブルックナーの交響曲第8番は空前の名演奏だった。
しかしながら、僕はその日、あの巨大なホールの3階席しか確保することができず、そこからは確かに素晴らしい演奏であることがわかったものの、正直魂を震撼させるほどのものではない、隔靴掻痒の思い増すものだった。

驚いたのはそれから間もなくFontecからリリースされた音盤を聴いた時。
その時僕は、音が四方に拡散し、およそ感動とまでいかなかったあの日あの夜の演奏が、これほどに自然体で、まさに「宇宙の鳴動」を体現する一世一代の光り輝く音楽だったのかと愕然とした。

確かに生の演奏を聴かない限り、作品や演奏の神髄までは絶対に見通せない。
しかし逆に、場所、空間によっては演奏そのものをスポイルし、その意味、意義を半減させる怖さがあることをこの時僕は味わった。

久しぶりに朝比奈隆指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第8番を聴いて思う。
それは、ブルックナー指揮者としての御大の長年の活動の中でも屈指の名演奏であり、ブルックナーという天才の作品の内在する神への信仰と俗世間の生業を合一させ、実に端整に再現したものであった。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
朝比奈隆指揮NHK交響楽団(1997.3.6Live)

心身共に充実していた当時の、御大渾身のブルックナー。第1楽章冒頭の音から安定し、それはついに終楽章コーダまで持続する神がかり的音楽として僕たちの前に現れた。中庸な、理想的なテンポで音楽はどの瞬間も意味深く、人々を魅了した。息を凝らして音楽に耳を傾ける聴衆の真剣さは今でも忘れられない。

確かに終演後の、聴衆の拍手喝采の凄まじさは並みのものではない。そして、その時の情景が今でもはっきりと思い出せるほど、その記憶は新しいものだ。
今更この演奏の詳細を僕が云々するのはナンセンスだろう。
あの日、NHKホールに居合わせることができた幸運に感謝しよう。
何より実演に触れることが重要だ。

 

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2 COMMENTS

neoros2019

この97年N響盤は文句なくブルックナー演奏史上の最頂点に位置する録音とわたしは思っています。
個人的にブルックナー演奏に対する認識は私の場合、極めて狭量で偏向しているという自覚が強いことはわかっています。
やれヴァントはどうだとか、クナやシューリヒトの定盤に対する評価が急落しただとか、朝比奈のグリーンドア盤、都響と組んだものとか、大阪フィルの何年盤ウンヌンカンヌン、聖カテドラル教会録音のものがどうしたとか。
旧ブルックナー愛好会の運営している中核を担っているある人に言わせると、とりわけ朝比奈さんの残したすべての録音に順位付けは出来ないと先月話しておられました。
実演に接したすべての朝比奈=ブルックナー演奏に、強い思い入れがあると。

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岡本 浩和

>neoros2019様
こんばんは。
「実演に接したすべての朝比奈=ブルックナー演奏に、強い思い入れがある」という言葉に納得です。おっしゃるように朝比奈隆の残したすべてのブルックナーに意味があり、優劣はないのでしょう。
それにしてもこの97年の8番は最高峰だと僕も思います。
ありがとうございます。

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