ウィーン管楽合奏団の「音楽時計のための作品集」(1980.8録音)を聴いて思ふ

music_for_a_musical_clock359最晩年のモーツァルトを思う。
いわゆる相対の世界を超えつつあったモーツァルトの至純の世界。僕が若い頃には到底感じられなかった、不要なものが削ぎ落された透明感。聴くたびに畏怖の念を禁じ得ない。

中に、ゼンマイ仕掛けの自動録音のための作品がある。モーツァルトがシュトリテッツ伯爵ヨーゼフ・ダイムの依頼により生み出した3曲で、作曲者本人は気の進まないままお金のためだけに世に送り出した代物だが、それでも最晩年の不思議な「透明感」を獲得しているところがさすがといえる。

モーツァルトが妻コンスタンツェに宛てた手紙には次のようにある。

僕はようやく時計屋のためのアダージョを書いてしまおう、と決心した。愛する君にためにいくらかでも金を手に入れたいからね。それで始めたのが、僕の嫌いな仕事だから、今のところは残念ながらまだできあがってはいない。毎日少しずつはやってはいるが―今始めたかと思うとすぐいやになる。やらずに済む仕事だったら、もうとっくに投げ出しているところだ。しかし少しずつやれば何とか終わるだろうと思っているよ。もしこれが実物のオルガンのような大きな楽器のための作品なら、書いていても面白いのだが、あの楽器ときたらパイプが小さくて、音が高過ぎて、僕の目から見れば子供のおもちゃだ・・・。
(1790年10月3日付、妻コンスタンツェ宛)
~ライナーノーツ

なるほど、モーツァルトにとって音楽とはあくまで人がその場で奏するものだという前提があった。人が、人の気概が重要なのである。とするならオルゴールはもちろんのこと、ひょっとすると現代の録音技術にも否定的な見解をもったのかも。興味深い。

音楽時計のための作品集
モーツァルト:
・幻想曲へ短調K.608
・自動オルガンのためのワルツヘ長調K.616
ハイドン:
・ディヴェルティメント「聖アントニウス」
モーツァルト:
・幻想曲へ短調K.594
ハイドン:
・笛時計のための7つの小品
ベートーヴェン:
・音楽時計のためのアダージョとアレグレット
ウィーン管楽合奏団
ヴォルフガング・シュルツ(フルート)
ゲルハルト・トゥレチェック(オーボエ)
ペーター・シュミードル(クラリネット)
フォルカー・アルトマン(ホルン)
フリードリヒ・ファルトゥル(ファゴット)(1980.8録音)

ウィーン・フィルの精鋭たちが集まってのアンサンブルが悪かろうはずはない。いずれも美しい音楽だ。とはいえ、実際のところ自動オルガンで聴いたらどんな風なのだろう・・・。

ちなみに、今となっては偽作と判断されるハイドンの「聖アントニウス」。ブラームスがその変奏の主題に第2楽章を使ったことで有名だが、素朴で安定した美しさに感無量。そして、同じくダイム伯爵の依頼でベートーヴェンが書いた「アダージョとアレグレット」も(いかにもベートーヴェンらしくない)可憐な名曲だ。

 

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