近衞秀麿指揮札響のベートーヴェン交響曲第1番&第7番(1963.9.6Live)を聴いて思ふ

beethoven_1_7_konoye_sso370近衞秀麿子爵にまつわる興味深いエピソード。

後年ドイツに渡って、当時ベルリン国立歌劇場の音楽総監督であったエーリヒ・クライバーに師事を申し入れた際、「貴君は、クラシック音楽の何かができるのか」と問われたとき、即座に「ベートーヴェンの交響曲のスコアならすべて暗譜で書けます」と答え、そこで指示された《第4交響曲》の一部を書いた。「音符ひとつをまちがえた」と近衞は言った。彼ほど楽譜をよく書く音楽家は、けっして多いとはいえない。
藤田由之編「音楽家近衞秀麿の遺産」(音楽之友社)P116-117

実際、「書く」という行為ほど大切なものはない。近衞子も当時の音楽界の状況から楽譜をひとつひとつ写譜せざるを得なかった事情があるとはいえ、そのすべてを諳んじるまで繰り返し書き通したのだろうから、その根気と本気というのはやはり大したもの。
ともかくこの人は音楽というものをことのほか愛していた。そして、極東日本でいつの日かベートーヴェンやブラームスなどヨーロッパの偉大な作曲家の作品が真面に演奏されることを夢見て、オーケストラの技術向上のために奔走したのであった。

近衞秀麿の演奏は、フルトヴェングラーのような浪漫性を湛え、しかも不確実性を前面に押し出すようなうねりのある音楽であり、同時代のもう一方の雄である山田耕筰の指揮とは正反対の解釈、音楽であったらしい。嗚呼、実演に触れてみたかった。

評論家の伊庭孝は日露交驩演奏会における山田耕筰と近衞秀麿の演奏を比較し、山田の指揮が教科書を読むようで解説的と述べ、近衞の指揮は楽員から見て指示が不確定であるが「創始的」であり、山田を「昨日の指揮者」、近衞を「明日の指揮者」と例えて、秀麿の将来性に期待している。
実際に、秀麿が望んでいたのは、テンポの変化、音量の増減、その他の細かいニュアンスを、指揮者の暗示を通して全楽員が自発的に行うことであった。
~同上書P96

近衞秀麿が規範としたのはまさにフルトヴェングラーだったのだろう。
近衞秀麿指揮札幌交響楽団第22回定期演奏会の実況録音を聴いた。
第1番ハ長調、そして第7番イ長調というベートーヴェンの2つの交響曲が、指揮者自身の編曲版によって演奏されているのが何より意義深い。

ベートーヴェン:
・交響曲第1番ハ長調作品21(近衞秀麿版)
・交響曲第7番イ長調作品92(近衞秀麿版)
近衞秀麿指揮札幌交響楽団(1963.9.6Live)

イ長調交響曲第1楽章冒頭からその炸裂と重みはさすが近衛版による倍管の威力であろうと思う。少なくとも随所に聴かれる金管、特にトランペットの破裂音は(少々耳障りなほど)奏者の意欲、頑張りを示すよう(ただし悲しいかな、金管群の技術は残念ながらいまひとつ)。
第2楽章アレグレットも十分に化粧が施される。また、第3楽章は4管編成ならではの重量感。ここまで諸々問題のある演奏ではあるが、それでも一層素晴らしいのが堂々たる終楽章アレグロ・コン・ブリオ。もちろんベートーヴェンの原曲が素晴らしいのだが、この傑作をより良く聴衆に伝えんとする近衞の思い入れが感じられる一振入魂の演奏なのである。楽団員はコーダに向かってそれこそ演奏が破綻寸前の様相を示そうが、ともかく近衞秀麿の棒に必死でついていこうとする。何という狂騒、そして何というエネルギー!!

それにしても会場である札幌市民会館の色気のないデッドな音響により、演奏の細かい瑕までがやたらと耳につき、興醒めに・・・。
なるほど、この50年で日本のオーケストラの演奏技術は格段に進歩進化したことが手にとるようにわかる。

 

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