グリモー&ジンマンのシューマン&R.シュトラウス(1995.6録音)を聴いて思ふ

schumann_strauss_grimaud_zinman376狼アラワとの邂逅から自身の才能が開かれてゆく顛末を語るエレーヌはいかにも雄弁だ。

こんなふうに寝そべるのを見たのは初めてだ。これは狼の側からの信じられないようなサインだ。感謝と信頼のサイン、服従のサインですらある。狼はほんとうに人間を嫌う。安全と感じなければ、こんなふうに腹を見せたりはしない。私相手でも、こんな行動は一度もとったことがない・・・
エレーヌ・グリモー著/北代美和子訳「野生のしらべ」(ランダムハウス講談社)P262

アラワの飼い主(?)であったデニスがエレーヌに投げかけた驚きの言葉に、エレーヌの人間離れした感覚を思う。あるいは彼女は本当に「人間」ではないのかもしれない。エレーヌ・グリモーは語る。

愛情という点について言えば、アラワは私の人生のなかでもっとも重要な存在のひとつだった。私たちの愛情、たがいの信頼は完全であり、絶対だった。デニスはそれに感嘆し続けた。通常、雌狼と絆を結ぶのはとくに珍しく、自分で育てあげたのでないかぎり、ほとんど不可能だ。私とアラワとが自然に理解し合ったことは、説明ができないままだった。
~同上書P274

私には狼たちがいた。私には音楽があった。
私には月明かりに照らされた狼たちの音楽があり、私の演奏のなかには、芸術家を保護するすべての獣性があった。
~同上書P288

彼女が狼を通して自覚するこの「獣性」こそが、彼女の演奏の芯にある人々に感銘を与える肝だろう。人間の狼に対する凄惨な仕打ちを描くエレーヌの言葉に戦慄を覚える。

狼を殲滅するために人間が考え出した罠と毒の種類をすべて正確に数え挙げるのは不可能だ。だが、その巧妙で残酷な仕かけは、動物を殺すために発揮された残虐性を明らかにする。
~同上書P279

この後の吐き気を催すほどの具体的な記述はもはや読むに堪えないほど。事実を読み手にリアルに想像させる手腕は、そのままエレーヌのピアノの技量にも重なる。楽譜から作曲家の心情を読み取り、立体的かつ具体的に音で描く技はエレーヌ・グリモーの真骨頂だろう。

・シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
・リヒャルト・シュトラウス:ピアノと管弦楽のための「ブルレスケ」ニ短調
エレーヌ・グリモー(ピアノ)
デイヴィッド・ジンマン指揮ベルリン・ドイツ交響楽団(1995.6.録音)

20年前からエレーヌ・グリモーはエレーヌ・グリモーだ。内なる神性というか、超越した感性がシューマンやリヒャルト・シュトラウスの魂を鷲掴みにし、彼女の言う、それこそ「獣性」に満ちる音楽が鳴り響く。実際のところ、精神的には世間一般とは隔絶した中に彼女は在り、そして「ありのまま」を一つ一つの音に刻み込むのである。

私は野生になった・・・。
私はあきらめた。ピアノを弾きたい、作品の研究成果を実際に演奏してみたいという気持ちにさいなまれているのに、ピアノが手の届くところにないとき、私は自分に繰り返し言い聞かせた。音楽で唯一重要なのは音によって語られることなのであり、その乗り物は些末なものにすぎない。それに私にはひとつ理論がある。大事を成しうる者は小事をも成しうる。
~同上書P287

楽器の良し悪しは大した問題ではないのだと。ほとんど悟りを得たかのような境地。
エレーヌの音楽が万人の心をとらえ、そしてそれが普遍的であるのはピアノという媒介を超え、作曲家の魂をありのままに再現しようという意志が働くからなのだろう。
シューマンの協奏曲は素晴らしい。そして、それ以上にシュトラウスの有機性。語り口は優しく、プロコフィエフを髣髴とさせる爆発的なパッセージも極めて自然体。音が弾ける、音が鎮まる・・・。文字通り「音によって語られる」ことでシュトラウスの決してメジャーとは言えない作品が甦る。

 

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