ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルのシベリウス交響曲第4番&第7番を聴いて思ふ

siberius_4_7_berglund_hersinki383死と闇を描くことで、自ずと強調される生と光。
ここには現実が在る。
決して詩的にでなく、音そのものに浸れば病に倒れた作曲家の死への恐怖と、一方で生まれる生への執着と憧憬が確実に聴いてとれる。また、作品を「そのように」表現し得た指揮者は偉大だ。

かつて埴谷雄高さんは立花隆さんに次のように語ったという。

ゲーテが死ぬ時に、「もっと光を」と言った。
それはゲーテの家にいくとよくわかりますよ。
立派な家なんですが、
部屋の中はものすごく暗いんですよ。
だからカーテンを開けてくれと言ったわけですよ、死ぬ時に。
それを聞いた人が意味を深くしたわけで(笑)。
病人の言った言葉なんです。
埴谷雄高「生命・宇宙・人類」(角川春樹事務所)P94

身も蓋もない、いかにも埴谷さんらしい言葉だが、それが現実なのである。

実に現実的にミクロコスモスとマクロコスモスの統合を描くのがジャン・シベリウスの音楽であり、それを見事に捉え、音化し切ったのがパーヴォ・ベルグルンドその人だと、ヘルシンキ・フィルとの演奏を聴いて思った。

シベリウス:
・交響曲第4番イ短調作品63
・交響曲第7番ハ長調作品105
パーヴォ・ベルグルンド指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1984.2録音)

何と透明なイ短調交響曲。
幽玄に語られる第1楽章の深淵を引き裂くように、高らかに鳴り渡る金管のシグナルの血の通った響きに心動く。また、第2楽章にみられる大自然への畏怖の念、さらに第3楽章のあまりの静けさにあらためてシベリウスの天才を思う。あるいはまた、終楽章の哀しいながら垣間見えるかすかな希望の光に祈念。何という美しさ。

第4交響曲が現実であるとするなら、第7交響曲は夢か幻だ。
たった一つの楽章で表現されたこの偉大な交響曲が、ベルグルンドの脱力の棒によって、見事に再現される。ここには、人類がまさに忘れてしまった陰陽を超えた世界がある。

宇宙の涯から涯へまで響きゆく一つの巨大な単音の幅を検証すること、それは確かに一つのヴィジョンに他なるまい。けれども、もしこの光栄ある用語があまりに暗過ぎる私の領域に似合わしからぬとすれば、私は私自身の用語をもって、それを一つの架空凝視と名づけても好いのである。私の魂は、広大な真空の一点にはたと立ち止まる。私は、架空を凝視する。そして、そこに行われる一種の精神の体操、私はここに設定された小さな実験室がもつ意味をそれ以上に予定していない。巨大なサイクロトロンやダイナモが旋回する現代、ものものしいランビキやフラスコをごたごたと並べたてて効果零の古ぼけた錬金術にとりかかった以上、その他につけ加えるべき意味などあり得ないのである。
「自序」
埴谷雄高作「死霊Ⅰ」(講談社文芸文庫)P10

埴谷さんの難解な思考を理解するのは骨が折れるが、「架空凝視」というのは素敵な言葉だ。
そして、シベリウスのこの2つの交響曲こそ「広大な真空の一点」たり得る存在のように僕には思える。
ちなみに、辻邦生さんの埴谷さんにまつわるエッセイに次のような言葉がある。

「すべての人間が詩人になるのでなければ人間の真の幸福はありません」と埴谷さんはパリで私に語ったが、それは、いまも私の心に響いている。埴谷さんは本気でそう言われ、私も本気で埴谷さんの言葉を受けつがなければならない、と考えたのだ。
「これからは、人類を救えるのは文学だけですよ。文学はもう娯楽でも楽しみでもありません。それは新しい宗教にならなければいけないんですね。信じることを失った人間、醒めきった人間の心を、文学によって、そう思わせて、意識を変えてゆく。それが真の革命です」
辻邦生著「時刻のなかの肖像」(新潮社)P58

何も文学だけではないだろう。音楽だって人類を救えるのである。

 

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7 COMMENTS

雅之

私は最近、新保祐司 著「シベリウスと宣長」 (港の人 )

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を読んで意表を突かれました。

何と、映画「アラビアのロレンス」とシベリウスの音楽に共通点を見出しているのですから、
その着眼点がじつに新鮮で感心しました。

映画の中で、ジャクソン・ベントリー記者の問いにロレンスは答えます。

Well,I was going to ask…what is it that attracts you personally to the desert?
-It’s clean.

前から一度聞いてみたかった、あんたがそこまで入れ込む砂漠の魅力とはなんです?
-潔癖だからだ。

確かに、シベリウスの後期も「It’s clean.」だと思います。

それにしても、北欧と砂漠の共通点は、相当気付きにくいと思いますよ。
3年前の私だったら共感しなかったでしょうが、今は何だかよくわかります。
シベリウスの音楽同様、映画「アラビアのロレンス」も、
その孤独感から、大好きです。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
この本、タイトルから気にはなっておりましたが、結局未読です。
なるほど、その視点は確かに新鮮ですね。
「アラビアのロレンス」も素晴らしい映画なので、久しぶりに見てみようと思います。
あ、その前にこの本読まないとですが・・・(笑)

ありがとうございます。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
昨年はシベリウス・イヤーだったので、それこそ音盤だけでなくコンサートもシベリウスは多かったですよ。
ご紹介の音盤についてはいずれもあちこちで評価されているものですが、未聴です。
ハンヌ・リントゥはともかくラトルにはあまり食指が動かないのですが・・・。

>我ながら煩悩には困ったものです

何たって人間ですから!(笑)

返信する
雅之

>ラトルにはあまり食指が動かない

ごもっとも!! 

さっそくリントゥだけにし、ラトルは1クリックで即キャンセルしました。危ないところでした(汗)。
ありがとうございます。

断捨離、断捨離・・・っと、うっかり忘れるところでした(笑)。

返信する
neoros2019

ここのところベルグルンドのシベリウスをパソコン作業中とか就寝前にかけっぱなしにしています
宇野氏の評論とは袂を分かったはずの昔の氏のレヴューを手にとったりしています
このヘルシンキ響のセットな何度鑑賞しても色褪せず、1番から7番までどの個所をとっても
耳に心地よいフィンランドの風景の深淵な息吹を肌に感じさせてくれますね
きょうは3番の2楽章のメロディが心に染み入りました
ベルグルンドは後期様式の独特の演奏法をとっているといわれますが、逆に他演奏盤ですっかり耳にこびりついてしまった2番がとっても新鮮に感じました

返信する
岡本 浩和

>neoros2019様

宇野さんの文章はここ数年まったく読む機会がなくなりましたが、かれこれ20年以上前に彼の評論の影響を受け、僕もこの全集を買い求めました。
あれから何度も耳にしておりますが、どの作品も本当に色褪せません。
あの頃の氏の評論は確かでしたね。

>耳に心地よいフィンランドの風景の深淵な息吹を肌に感じさせてくれますね

同感です。

>すっかり耳にこびりついてしまった2番がとっても新鮮に感じました

しばらく聴いておりませんが、久しぶりに耳にすると本当に新鮮なんでしょうね。
あらためて耳を傾けてみたいと思います。
ありがとうございます。

返信する

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