アルバン・ベルク四重奏団のヴェーベルンほか(1975.7録音)を聴いて思ふ

webern_ramati_urbanner_abq398決められた枠を出ること、そして、すべてをよりシンプルに。
人々はいつの時代も「美しいもの」を求め続けてきた。その追求の過程でより複雑化し、大仰になっていった「美」は、一方で足枷と化していった。
すべてに表があり裏がある。

いよいよ無調の時代に突入したアントン・ヴェーベルンの弦楽四重奏のための5つの楽章。
一切の人間感情を超え、不気味なまでの気配の内側に在る混沌と調和の交わり、あるいは交互に伸縮するテンポの妙。音楽の斬新さもさることながら、血の滲むような有機性とたった今生まれたばかりのように聴こえる微細なフレーズに作曲者の天才を思う。
そして、わずか4分にも満たない6つのバガテルにおける変容の奇蹟。

ある朝、グレゴール・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した。彼は鎧のように堅い背を下にして、あおむけに横たわっていた。頭をすこし持ちあげると、アーチのようにふくらんだ褐色の腹が見える。腹の上には横に幾本かの筋がついていて、筋の部分はくぼんでいる。腹のふくらんでいるところにかかっている布団はいまにもずり落ちそうになっていた。たくさんの足が彼の目の前に頼りなげにぴくぴく動いていた。胴体の大きさにくらべて、足はひどくか細かった。
フランツ・カフカ著/高橋義孝訳「変身」(新潮文庫)P5

カフカの「変身」の有名な冒頭シーンを髣髴とさせる突然変異のような音楽。そして、周囲に迷惑をかける自分の生命を終わりにしなければと決意するその覚悟・・・。

感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえす。自分が消えてなくならなければならないということにたいする彼自身の意見は、妹の似たような意見よりもひょっとするともっともっと強いものだったのだ。こういう空虚な、そして安らかな瞑想状態のうちにある彼の耳に、教会の塔から朝の3時を打つ時計の音が聞こえてきた。窓の外が一帯に薄明るくなりはじめたのもまだぼんやりとわかっていたが、ふと首がひとりでにがくんと下へさがった。そして鼻孔からは最後の息がかすかに漏れ流れた。
~同上書P89-90

ここでもアルバン・ベルク四重奏団の攻撃的でキレのある響きがものをいう。

・ヴェーベルン:弦楽四重奏のための5つの楽章作品5(1909)
・ヴェーベルン:弦楽四重奏のための6つのバガテル作品9(1913)
・ヴェーベルン:弦楽四重奏曲作品28(1937-38)
・ハウベンストック=ラマティ:弦楽四重奏曲第1番「モビール」(1973)
・ウルバンナー:弦楽四重奏曲第3番(1972)
アルバン・ベルク四重奏団(1975.7.3-6録音)
ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
クラウス・メッツル(第2ヴァイオリン)
ハット・バイエルレ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

生前出版された最後の作品である作品28の四重奏曲は、演奏時間7分半ほどの傑作。この凝縮された繊細な美!!いかにヴェーベルンがこの作品に自信を持っていたことか。

私はいまだかつて、完成された作品に対してこれほどの充足感を覚えたことはなかったと告白せざるを得ません。私には、これが私の最初の作品であるかのようにすら思えます。
(1938年4月19日付、ルドルフ・コーリッシュ宛手紙)
「作曲家別名曲解説ライブラリー16 新ウィーン楽派」(音楽之友社)P148

何より初期アルバン・ベルク四重奏団の研ぎ澄まされた響きと、逆にそこから醸し出される音楽の温かさに心動く。何という刹那!!
ピエール・ブーレーズの次の言葉を思った。

これに比べるとヴェーベルンの作品は、ひとたびその本質と語彙を把握してしまうと(私が言うのはとくに最後の諸作品ですが)、それ以上さまざまな読みとりを要求したりはしません。それはちょうど、ピエト・モンドリアンの絵のようなものです。そこには完成が見られます。そして、それがこの上なく全体的な貧困さにまで、真に禁欲の境地といった完成にまで押し進められるのを見るのは、まったく驚嘆に価します。しかし、その後ふたたびその絵(もしくはそれらの絵)を御覧になるなら、そこにはもはや汲みとるべきものは何も残っていないのです。
ピエール・ブーレーズ/店村新次訳「意志と偶然―ドリエージュとの対話」(法政大学出版局)P26

過去を忘却し、未来を望まぬ今ここの音の連なり。
そして、その創造はポーランド生まれの前衛作曲家ハウベンストック=ラマティにも影響を及ぼす。
あるいは、ウルバンナーのうちにも在る「今ここ」。
4挺の弦楽器の完全な融合。突如打ち切られるように終わる音楽に、やはりグレゴール・ザムザの悲哀を思う。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之

>過去を忘却し、未来を望まぬ今ここの音の連なり。

・・・・・・・29歳で迎えた初のW杯だった。前回大会前も合宿には参加していたが、メンバー入りを逃した。ただ、ジョン・カーワン前HCとのやりとりで、忘れられない一幕がある。ある日のミーティング。ホワイトボードに「過去、今、未来」と書かれていた。「過去は変えられるか」と問われた五郎丸は「変えられません」と答えた。続いて「未来は変えられるか」と聞かれ、今度は「変えられます」と答えた。そこでカーワン前HCが言った。「違う。お前が変えないといけないのは、今だ。今を変えなければ、未来は変わらない」

 五郎丸が「衝撃を受けた。今でも大切にしている言葉」は、今大会でも自分自身を支えた。常に目の前の試合に勝つことに集中し、ボーナス点を稼がなければ準々決勝進出が厳しい状況でも、時に言葉を荒らげて「先を見ていない」と言い続けた。・・・・・・『五郎丸を支えた前HCの言葉「今を変えなければ、未来は変わらない」 』スポニチ Sponichi Annex記事より
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/10/13/kiji/K20151013011312130.html

ヴェーベルンと五郎丸が、私の中でシンクロしました!!

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む