ヘンツェのラジオ・オペラ「田舎医者」&「この世の終わり」(1996.9録音)を聴いて思ふ

henze_ein_landarst_das_ende_einer_welt448後悔の念などというものは本来存在しないものなのかも。
それこそ勝手な憶測と想像が作り出した幻にすぎぬ。
光陰矢のごとし。
失った時間は決して戻らない。とはいえ、時間をネガティブに捉えることなかれ。時計の針が戻らないのはそれが禁断の行為ゆえ。

フランツ・カフカの「田舎医者」。文庫本にしてわずか12ページの短編に「真理」が刻まれる。

老いた田舎医者、その女中が手ごめにされた!連中がやってくる。家族の面々と村の長老たちだ。連中は私を裸にする。先生につれられた小学生の合唱隊が家の前に並び、単調な歌をうたった。

「裸にしよう、裸にすればなおすだろう
裸にしてもなおさなければ、殺してしまえ
医者なんだ、おまえはただの医者なんだ」
池内紀編訳「カフカ短編集」(岩波文庫)P42

肩書きも何も通用しない世界。自惚れることなかれ。
後悔から元の世界に戻ろうとするも復路の馬は遅々として進まない。
それが「現実」というものなんだ。

「それ、行け!」
私は叫んだ。だがいっこうに進まない。老人のようにおぼつかなく、雪の荒野をとぼとぼといく。そのあと長いこと、子供たちの歌が聞こえていた。新しい歌、まちがった歌。

「よろこべ、おまえたち、患者さん
先生がベッドでともねをしてくれた!」

これではとても家にたどりつけない。繁昌していた商売もこれきり、あとがまが盗みとる。しかし無益なことだろう。私の代わりになどなれっこないのだ。家ではあのいやらしい馬丁が好き放題をしているだろう。ローザを手ごめにしている。
~同上書P44-45

余計な詮索や妄想は不要。誰もが唯一無二の存在であり、栄枯盛衰の世の中で生きているということ。時間の流れの中で自らが奉仕できることに邁進せよと。
それにしてもヘンツェの、革新と保守を上手に組み合わせた、情景を巧妙に音化する方法に感動する。

ヘンツェ:
・「田舎医者」~フランツ・カフカの短編小説に基づくラジオ・オペラ
ローランド・ヘルマン(バリトン、田舎医者)
ロデリク・M・キーティング(テノール、長男)
ヨナス・デコフ(少年ソプラノ、患者)
マッテオ・デ・モンティ(バス、父親)
イゾルデ・ジーベルト(ソプラノ、バラ&娘)
ダフネ・エヴァンゲロートス(アルト、母)
ケルン大聖堂合唱団(小さな子どもの合唱)
マルクス・シュテンツ指揮ケルン放送交響楽団(1996.9録音)
・「この世の終わり」~プロローグとエピローグを伴うラジオ・オペラ
ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ(語り手)
フリーダー・ラング(テノール、落下していく男性の魂)
ダフネ・エヴァンゲロートス(アルト、マルケーザ・モンテトリスト)
ロデリク・M・キーティング(テノール、ドブロフスカ&二倍の天才)
イゾルデ・ジーベルト(ソプラノ、スガンバーティ嬢&占星術師)
ロベルト・ボルク(バリトン、クンツ=サルトーリ教授&政治家)
ゴットフリート・リッター指揮ケルン放送交響楽団(1996.9録音)

ちなみに、ヴォルフガング・ヒルデシャイマーの「失われた愛の伝説」による「この世の終わり」での第9番ソナタ・ダ・カメラに流れるのはコレルリの作品なのかどうなのか?この突然のバロック音楽のアンバランスさに、不思議な適正を見出し、思わずうなる。

 

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2 COMMENTS

雅之

>失った時間は決して戻らない。とはいえ、時間をネガティブに捉えることなかれ。

時間について私の悩みは、過去を後悔することではなく、音楽を聴く時間を充分に確保できないことです。音楽を聴くことが、いくつかの趣味のひとつに過ぎなく成り下がった今では尚更です。

ましてや元々「ながら聴き」が嫌いで、聴くときは集中して聴きたい性分ですから、もう、なんともなりませんわ(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

その悩みは相当に深いですね。
「いま」の時間が十分にとれないとなると、どうにも術がわかりません。
しかしながら、雅之さんには今後もより一層音楽に集中して聴いていただき、様々ご教示いただけることを熱望します。

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