フィッシャー=ディースカウのヴォルフ「ゲーテ歌曲集」(1960.4録音)を聴いて思ふ

hugo_wolf_the_anniversary_edition463与える側にも受ける側にも必ず問題はある。すべては対等なのだから。
相手がどんなに優れたものであろうと必ず過ちはあるのだ。神々ですら真の創造者でない限り「絶対」はない。

ゲーテの「プロメートイス」。

太陽の下、なんじら神々より
あわれなるものを我は知らず。
なんじらはささげものや
祈りの息吹によって
なんじらの威厳を
細々と養うにあらずや。
幼な児や乞食のごとき
はかなき望みを抱く痴者なくば、
なんじらは飢えはてしならん。
高橋健二訳「ゲーテ詩集」(新潮文庫)P68-69

いわゆるプロメテウスの火は功罪孕む。
ゲーテはプロメテウスの立場から主神を攻め立てる。同時に、自身の不甲斐なさをも反省するのだ。何という潔さ。

われはここに坐し、人間をつくる、
わが姿に似せて、
われに等しき一族をつくる。
われに等しく苦しみ泣き
楽しみまた喜ぶ一族を―
またわれに等しく
なんじを崇めざる一族を!
~同上書P71-72

ヴォルフ:ゲーテ&メーリケ歌曲集
・ゲーテ歌曲集
―歌手
―新しいアマディス
―天才的な行い
―騎士クルトの嫁探しの旅
―ぶしつけで楽しく1
―ぶしつけで楽しく2
―コフタの歌1
―コフタの歌2
―気がかり1
―気がかり2
―パーリアの感謝
―王者の祈り
―プロメテウス
―人間の限界
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1960.4.14-20録音)
・さすらい人の夜の歌
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1959.4.11&12録音)
・メーリケ歌曲集
―時は春
―葦の根の妖精
―見捨てられた娘
ヘレン・ドーナト(ソプラノ)
クラウス・ドーナト(ピアノ)(1976.3.22-25録音)
―問いと答え
―さようなら
ブリギッテ・ファスベンダー(メゾソプラノ)
エリク・ヴェルバ(ピアノ)(1979.10.9&10録音)
―風に寄せる歌
モニカ・フリマー(ソプラノ)
リーゼ・クラーン(ピアノ)(1992.2.3-6録音)

意味深く暗澹たるムーアの前奏に続き、ディースカウの堂々たる歌唱が光輝を放つフーゴー・ヴォルフの「プロメテウス」。この、8分近くに及ぶ歌曲には、ディースカウの真面目さ、深刻さが功を奏し、プロメテウスの嘆きと共に大いなる自信が刻印される。

僕たちは与えられたものを上手に使わなければならぬ。
プロメテウスがあくまで対等に創造した「人間」なのだから。

 

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2 COMMENTS

雅之

>相手がどんなに優れたものであろうと必ず過ちはあるのだ。神々ですら真の創造者でない限り「絶対」はない。

Wikipedia「菅原道真」より

“平安朝きっての秀才”ということで今日では学問の神様だが、当時は普通の貴族であり、妾も沢山おり、遊女遊びもしている。とりわけ、在原業平とは親交が深く、当時遊女(あそびめ)らで賑わった京都大山崎を、たびたび訪れている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F

神様を裁く神様もいるのかもしれませんね。

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