エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「英雄」(1953.4録音)ほかを聴いて思ふ

erich_kleiber_decca_recordings躍動感と前進性。その上、音が柔らかい。
颯爽として、それでいて深みのある「英雄」交響曲。
あの時代にしては珍しく第1楽章の提示部の反復もある。
いつもなら煩わしいその繰り返しが、実に「上手に」響くのだから音楽というのは面白い。
何にせよ音楽は楽しくなければ音楽にあらず。

武満徹の「あなたのベートーヴェン」と題するエッセーに不思議な懐かしさを覚えた。

ある日、ひとりの若い友が、はじめてベートーヴェンを聴いた時のことを話してくれた。かれは東北の山間の僻地に育ったが、特別の音楽教育を受けたことはむろんなかった。終戦の頃、かれはまだ小学校の低学年であった。機械いじりが好きで、ラジオを組立てたりすることに熱中していた。かれがベートーヴェンの音楽に触れたのは、永いことかかってやっと完成した一台の鉱石ラジオを通してであった。そのラジオを作りあげるために数日を費やし、そしてある夜半に、それが微かな音を響かせるのを言知れぬ歓びと驚きをもって耳にしたのだった。かれはベートーヴェンを聴いたことはなかったし、その異様な響きがはじめは何であるかを知ることはできなかった。たぶんそれはかれにとってはじめての音楽体験であったろう。アナウンスでそれがベートーヴェンの交響曲であることを知った。それから、かれはその粗末な一台の鉱石ラジオを通して音楽との交渉をもつようになった。
数年して、S市で行われるカラヤンのベートーヴェンを聴くために、小遣いを貯えて汽車に乗った。自分が育った土地から外へ出たのはそれが最初であった。生まのベートーヴェンを聴いたことは、かれにとって大きな驚きには違いなかったが、鉱石ラジオを通して遥かな遠みから響いたあのベートーヴェンのようには、その音楽はかれを捉えなかった。「あれはぼくのベートーヴェンとはちがうんだなあ」と、かれは言うのだった。
(筑摩書房発行「季刊・文芸展望」74年冬号)
「武満徹著作集1」(新潮社)P338

誰にも音楽の原体験がれっきと存在するのである。
確かに関西の山間の僻地に育った僕にも(その人同様特別な音楽教育は受けていない)、それは中学生の時だったけれど、FM放送で初めて聴いた「ぼくのベートーヴェン」があった。
そのひとつがフルトヴェングラーのベートーヴェン。
そして、もうひとつがエーリヒ・クライバーのベートーヴェン。

・ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1953.4録音)
・ウェーバー:交響曲第1番ハ長調作品19
エーリヒ・クライバー指揮ケルン放送交響楽団(1953.9Live)

久しぶりに聴いた父クライバーの「英雄」は、やっぱりかつて少年の頃繰り返し聴いたそれであった。どの楽章のどの瞬間も忘れられない感動とともに蘇る。
父のパフォーマンスをおそらく超えることはできないであろうという考えがあったのか、息子カルロスが「英雄」を振らなかった理由がわからなくもない。それほどにエネルギッシュで自然、また温かみのある演奏なのである。特に両端楽章の開放感が素晴らしい(ちなみに、第1楽章アレグロ・コン・ブリオのコーダで金管によって2度奏される主題の音量を随分抑えているのが特長で、2度目のそれはオリジナル通り木管で吹かせているのかと勘違いするほど)。

また、ケルン放送響とのウェーバーも素晴らしい。
若書きとはいえ、作曲者の天才が息吹くその音楽を、父クライバーが見事な棒さばきで再現する様子に、息子カルロスの姿を思わず重ねる。カルロスはおそらくこの作品を演らなかっただろうが、音楽のテンションは親子瓜二つ。息子が父を意識し過ぎたことがわかる。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


2 COMMENTS

雅之

昔、岡本様と散々話題にした、ベートーヴェン「英雄」と、ナポレオン、フリーメイソンとの関係をおさらいしてみましょうか(当時より、こじ付けを少し増やしました・・・笑)。

第一楽章のテーマが、モーツァルトが12歳で作曲した歌劇「バスティアンとバスティエンヌ」 序曲からの引用で、歌劇の舞台がコルシカ島であること。フリーメイソンにとっての数字「3」の重要性と、英雄交響曲の「3」という数字への執拗なこだわり。フランス革命の理念 (自由、平等、博愛)。ナポレオンが生み出した、国民軍の三兵戦術(砲兵・騎兵・歩兵の連携)。ナポレオン軍のエジプト上陸、ピラミッドの戦いでの勝利。ナポレオンが兄弟たちをフリーメイソンの高位職につけていること・・・(「エロイカの3づくし」は昨年、吉松先生も話題にされていました)。

http://yoshim.cocolog-nifty.com/tapio/2015/07/nhk-5.html

(ちなみに、「terrorism テロリズム」という用語が使われるようになったのはフランス革命において行われた九月虐殺がきっかけであったそうです。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

このように多くの要素を内包した第3交響曲「英雄」は、やはりフルトヴェングラーやエーリヒ・クライバーなどのスケールの大きな演奏で聴きたいと、私も思います。決して懐かしさだけではなく・・・、昨今のヨーロッパの平和の危機に想いを馳せながら・・・。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

昔さんざんやりとりしましたね。
懐かしいです。
そして、雅之さんの論は進化してますね。(笑)

ここまで揃うと、「エロイカ」の3尽くしは偶然とは思えませんね。
見えない力が働いているんじゃないでしょうかね。

>昨今のヨーロッパの平和の危機に想いを馳せながら・・・。

同感です。
1950年代の古き良きヨーロッパの温もり漂わせる大演奏がやっぱり理想ですね。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む