ワルター指揮ニューヨーク・フィルのマーラー「復活」交響曲(1958.2録音)を聴いて思ふ

mahler_2_walter_nyp491グスタフ・マーラーが「復活」交響曲(第2番)を作曲、上演しようと試みていたその頃、彼には思いを寄せる女性があった。ソプラノ歌手アンナ・フォン・ミルデンブルクその人。
交響曲第2番の、どうにもならない暗い雰囲気から醸される底知れぬ愛の音調は、どうやらこの人に向けての切ない思いの表現だったのかもしれぬ。

お願いだから、明日からずっと手紙を書いておくれ(一行でも君から便りをもらえればそれで十分だ、もちろん無理にでは困るが)君だとわからないように字を変えてね。―君が到着したことを知らせてくれる最後の手紙だけはいつもの君の字で(そのほっそりした愛らしい腕で)書いてくれてさしつかえないが。
(ベルリン、1895年12月8日付、マーラーからミルデンブルク宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P142

連日の何通もの手紙が、彼の内にある熱い思いを物語る。
恋とはそういうものだが、そういう俗的な感情と、ビューローの葬儀のときに耳にしたクロプシュトックの聖なる賛歌を連携させ、崇高でありながら親しみやすい音楽を創出したマーラーの才能は(分裂気味とはいえ)大したもの。

最愛のアンナ!
今日は第1回目の練習がある、とはいっても本の予備練習にすぎないが―でも少なくともやはりプローベには違いない。天国の軍勢を教練しなければならないのさ。さぞかし君も知りたいだろうね、そいつがいったいどんなことになるか、図星だろ。でも言葉ではちょっと言い表しがたい(もちろん、でなかったら僕は音楽など書きやしないさ)、最終楽章の例のところへ来れば、君もきっとこの言葉を思い出して、そしたら万事明らかになるさ。
(ベルリン、1895年12月9日付、マーラーからミルデンブルク宛)
~同上書P144

そして、譜面が実際に音化されたときの熱狂を、同じく彼女への燃える恋心を携えて、訴えかけるのである。壮大な交響曲を捧げるのだと・・・。

僕の大切なひと!
今日は君に何行かしたためるべく、時間を盗んで書いている。僕は渦中の人なのだ。―昨日初めて全体が音となって鳴り響いた!期待をはるかに超えていた。演奏に加わった者皆がすっかり感じ入って、ひとりでにしかるべき表情を見いだしていた。
君に聞いて貰えていたら!いまだかつて誰も耳にしたことがないような、圧倒的な響きだったよ。―君に捧げるつもりで作曲したのだよ!
(ベルリン、1895年12月11日付、マーラーからミルデンブルク宛)
~同上書P145-146

ブルーノ・ワルターが晩年に収録した「復活」交響曲。
80歳超とは思えぬ若々しさ。そして溢れんばかりの作曲者への愛。
全曲どの瞬間も僕にとっては最高のもの。高校生のときから聴いているのだからもはや冷静にも客観的にも語ることが不可能。確実に僕の中に刷り込みがある。手放し、なのだ。
ちなみに、かつてのアナログ盤では、終楽章の途中でひっくり返さなければならなかった80分弱のこの演奏が、今や1枚の音盤に収まるということが素晴らしい。

・マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
モーリーン・フォレスター(コントラルト)
エミリア・クンダリ(ソプラノ)
ウェストミンスター合唱団
ブルーノ・ワルター指揮ニュー欲・フィルハーモニー管弦楽団(1958.2.17-21録音)

ところで、ブルーノ・ワルターは、マーラーの死に際し、ジャン・パウルの「巨人」の崇高な一節を思い出したことを「回想録」に書いている。

なぜならおまえは生の背後に、生よりも高いものを求めていたのだ。おまえの自我でも、死ぬべき人でも、不死の人でもなく、永遠者を、全にして第一の者を、神をこそ求めていたのだ・・・いまおまえは本然の存在のうちに憩っている。死は暗い心から、息苦しい生の雲をとり払い、おまえがかくも長いあいだ求めた永遠の光は、蔽われることなく照っている。そしておまえはその光の輝きとなって、ふたたび火のなかに住むのだ。
内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P253-254

死こそ光、すなわち愛であり、真実だと。
ワルターの「葬送」(「復活」第1楽章)が、どこか安寧を持ち、癒しに満ちるのはそのせいかも。

 

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2 COMMENTS

雅之

>死こそ光、すなわち愛であり、真実だと。

鉱物であった私は死に、植物となった。
そして植物となった私は死に、動物となった。
動物となった私は死に、人間となった。
次に死ぬ時、この私は翼と羽根をもった天使となるだろう。
そうであるのなら、どうして、
死による消滅を、恐れなければならないのか?
そのあとは、天使よりももっと高く
舞い上がって、
誰も想像ができないようなものに私はなるだろうに。

・・・・・・メブラーナ・ジャフールディーン・ルーミー(イスラーム密教の聖者・詩人)

「ラスト・バリア―スーフィーの教え」ルシャッド・T. フィールド (著), Reshad T. Feild (原著), 山川 紘矢 ・ 山川 亜希子 (翻訳)   角川書店 (1997/09)

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%A2%E2%80%95%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89-%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BBT/dp/4047912794/ref=sr_1_fkmr0_1?s=books&ie=UTF8&qid=1459561654&sr=1-1-fkmr0&keywords=%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%80%EF%BD%9E%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%EF%BD%9E%E3%80%80%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E8%91%97%E3%80%80

う~ん、やっぱり宗教は危険な香りだ。

「じゃあ、いつから学ぶか? 過去からでしょう!!」と、昨日あるテレビ番組で林修氏は言ってましたが(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>う~ん、やっぱり宗教は危険な香りだ。

確かに!(笑)
自爆テロを行使する原理種者たちの中にも同じような「詩」があるのでしょうかね?

返信する

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