カラヤン指揮ベルリン・フィルのシベリウス「タピオラ」(1976.12録音)ほかを聴いて思ふ

sibelius_4_5_karajan_bpo_197103ヘルベルト・フォン・カラヤンの「リハーサル」と題する論文には次のような言及がある。

音楽の流れの中で、わずかな不正確さや不確かさがあると―たとえばディミヌエンド(少しずつ弱く)の開始がほんの少し遅れているのを正そうとすると、雰囲気はもう乱されてしまう。あるいは、ある箇所を適切に流れるようにするには、指揮者の側に余裕がなさすぎることもある。最終的な結果に至るまで、自己批判的でなければならない。(・・・)さてリハーサルでは、そういった点について語り合い、まず技術的な面から改善に努める。(・・・)技術という縛りから解放されるなら、これから始める仕事は(・・・)時代の変遷の中で、自分自身を認識し、実現する試みである。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P257

実に深い言葉である。自然に事ができるようになれば魂は追いつく。何にせよ人間が技術を練磨するのは真の自己実現のためだと。
確かにカラヤンの音楽には研ぎ澄まされた美しさがある。
また、マリス・ヤンソンスやワレリー・ゲルギエフを輩出した国際指揮者コンクールをスタートした背景には彼の強い思いあってこそのことだ。

民族や人間を結びつける音楽という媒体によって、このような国際的な出会いの場で、人間同士や芸術との触れ合いを深め、また共に音楽演奏で芸術に寄与する機会を、世界の若者に与えるべきです。
~同上書P284

カラヤンは間違いなく(抜け目ない)ビジネスマンであったが、その思想の根幹には一貫したものがある。それは、「自他ともに幸福であること」。彼の音楽が世界中のたくさんの人たちの心を救ったであろう事実は真に大きい。

光輝に満ちるジャン・シベリウス。漆黒の「タピオラ」が不思議に明るい。

シベリウス:
・交響詩「エン・サガ」作品9(1976.12.27-28録音)
・トゥオネラの白鳥作品22-2(1976.12.27-28録音)
・組曲「カレリア」作品11(1981.1.2録音)
・交響詩「フィンランディア」作品26(1976.12.27-28録音)
・悲しきワルツ作品44-1(1980.11.16-20録音)
・交響詩「タピオラ」作品112(1976.12.27-28録音)
ゲルハルト・シュテンプニック(コーラングレ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

愛国心に溢れる堂々さというより、あくまで表面美を追求した「フィンランディア」、そして憂愁ながら甘い「悲しきワルツ」。正確無比さと磨き抜かれたダイヤモンドのような美しさはいかにもカラヤン節。しかし、だからこそ素晴らしいのだと今の僕は思う。

ちなみに、前後にこれらの作品の録音があった1980年12月には、カラヤンはベルリン・フィル就任25周年の式典で次のようなスピーチをしたという。

我々は一つの家族になりました。それは、指揮棒のもとで演奏する人間ではなく、犠牲的な精神で、疲れを知らない勤労意欲をもち、自然な人間的付き合いの中で、いかにできるだけ多くの高度な音楽を作りだせるか、共に考える一つの家族なのです。
~同上書P309

これは建前。両者がもう随分前からそれほど親密ではなかったことがわかっているので。
この二面性が要はカラヤン自身なのである。この際、是非は問わない。武満徹が語るように、「芸術家は注意ぶかく嘘を計画」しなければならないのだから。
カラヤンがあらたにEMIに録音したシベリウス集はどれも素晴らしい。しかし、交響曲第7番が欠けていることが痛恨事。

 

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2 COMMENTS

雅之

昨年がシベリウス生誕150年だったせいばかりでなく、何となく今の時代が、ブルックナーよりシベリウスの方を向いているような気がしませんか?

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岡本 浩和

>雅之様

間違いないですね。今やついにシベリウスの時代の(真の)到来だと思います。
コンサートなどでも2番以外が採り上げられる機会増えてますからね。

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