セル指揮ベルリン・フィルのグルック「アルチェステ」序曲(1964.8.10Live)ほかを聴いて思ふ

szell_salzburger_orchesterkonzerte_1958そんなエッダの死滅の日の姿は、あの輝かしい天地創造の日とまったく同じなのです。そうです。それはまったく同じです。エッダの美しい死滅の予測図と天地創造の細密な測定図は、同じ一枚の画面の正確な裏表に過ぎないのです。そうです。もしその二枚の画を重ね合わせてみれば、天空へ燃え上がる火焔の形に至るまで、一分一厘のすきも狂いもなくぴったり合わさる筈です。そして、それは決して真の死滅の姿なのではない。死滅とともに新たな再生を約束する永劫回帰の輝かしい相に過ぎない。だが―おお、そうではない。宇宙死滅の真の姿は決定的にそんな相とは違っているのです!
埴谷雄高作「死霊Ⅰ」(講談社文芸文庫)P351

この世では死というものは否定形となるが、おそらくあの世では生というものが否定形になるのだろう。
王妃アルチェステは、幸か不幸か、主神アポロの許しを得て生き長らえた。彼女の覚悟(すなわち悟り)が無駄になった分、それが本当に幸せだったのかどうなのかわからない。

グルックの音楽はどこまでも奥深い。永遠を思わせるその旋律に感動し、魂を震撼させる響きに卒倒する。デモーニッシュなフルトヴェングラーの解釈とは(同じオーケストラでも)様相を異にし、セルのそれは実に清廉かつ端麗で、それこそアポロ神が全編支配するような峻厳な名演だ。

1964年8月10日、ザルツブルク音楽祭祝祭大劇場のジョージ・セル。
ひとつひとつの音符に思いを込めるこの独裁者の解釈は一切の揺らぎなく、アルチェステの意志の如く真一文字に直進する。聴衆の厳粛なる拍手もまた良し。

ベートーヴェン:
・劇音楽「エグモント」序曲作品84
・交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ジョージ・セル指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(1963.8.4Live)
グルック:
・歌劇「アルチェステ」序曲
ジョージ・セル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964.8.10Live)

1963年8月4日、ザルツブルク音楽祭祝祭大劇場のジョージ・セル。
安定の「英雄」交響曲。
第1楽章提示部の推進力に対し、展開部に入るや一旦減速し、徐々にアッチェレランドをかけながら音楽を歌い切る妙。このあたりの流れの自然さにセルの類い稀なセンスを思う。
そして、ぶれないコーダの金管の咆哮とティンパニの爆発に音楽そのものの素晴らしさとセルの内燃する冷たいエネルギー。
続く第2楽章「葬送行進曲」は、粘らずうねらず、それでいて深みのある音楽が体現される。第2主題を奏するオーボエが何ともうら悲しい。また、第3楽章のトリオにおける間の良さにもセルの感性が反映される。
何より終楽章の圧倒的包容力!!ここぞとばかりに喜びが表現され、音楽によってすべてが解放されるのだ。

なるほど、吉田秀和さんのジョージ・セルについての評論に膝を打つ。

合奏の完璧。明確で柔軟な表情。バランスの良さ。ここに、セルの最良の姿がある。ことに、彼のいう管弦楽の各部門相互間の均衡のうちにうちたてられた、いくつもの声部の流れの共存は、理想的な姿で実現している。
「吉田秀和全集5―指揮者について」(白水社)P34

ちなみに、チェコ・フィル本来の土俗的な響きを巧みに引き出された「エグモント」序曲はさすがに手慣れた解釈で見事、それこそ吉田さんの次の言葉に集約される安心感を醸す。

セルの指揮の秘密の一つは、彼のフレージングの正確さと精緻にある。
~同上書P34

熱い。

 

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