ムラヴィンスキーのショスタコーヴィチ交響曲第6番(1972.1.27Live)を聴いて思ふ

mravinsky_in_moscow_1972532一番最初から共同体感覚を理解することが必要である。なぜなら、共同体感覚は、われわれの教育や治療の中のもっとも重要な部分だからである。勇気があり、自身があり、リラックスしている人だけが、人生の有利な面からだけでなく、困難からも益を受けることができる。そのような人は、決して恐れたりしない。困難があることは知っているが、それを克服できることも知っており、すべて例外なく対人関係の問題である人生のあらゆる問題に対して準備ができているからである。
アルフレッド・アドラー著/岸見一郎訳「個人心理学講義―生きることの科学」(アルテ)P16

自律的に生きるとは依存なく主体的に生きるということだ。
そこには確信がなければならない。そして、使命に燃える心がなくてはならない。
また、すべてがひとつであるという信念の下、協同することだ。
真の共生についてアルフレッド・アドラーは「共同体感覚」と命名したが、おそらくムラヴィンスキーが率いたかつてのレニングラード・フィルはそれを真に体現したオーケストラではなかったか?

1972年1月27日にモスクワ音楽院で演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第6番を聴いて思った。
ショスタコーヴィチの作品はこの曲に限らずどれもそうだが、一人一人の奏者の力量が是非を左右する。その上での恐るべき合奏力。骨の髄にまで届く絶叫の音圧と、囁くように撫でる弱音の対比には作曲者の激烈な心情が見事に刻印される。
何よりムラヴィンスキーの恐れを知らぬ一見無慈悲なまでの冷徹さ。
その実、異様な温かみに溢れる内面・・・。

明日私の交響曲第6番が演奏されます。ムラヴィンスキーは彼のできることすべてをやってくれ、すべてがうまくいっています。もし初演が失敗し、それが続くのであれば、驚くべきことです。しかし、最後の楽章については少し不安があります。
グレゴール・タシー著/天羽健三訳「ムラヴィンスキー高貴なる指揮者」(アルファベータ)P118

お墨付き。これ以上のショスタコーヴィチはない。
第1楽章ラルゴの濃密な歌。中間に登場する木管群の巧さ、カデンツァ風フルート独奏の美しさ、また同時に現れる弦楽器群の哀感と金管群の壮絶な咆哮。どこをどう切り取っても当時ヨーロッパで勃発していた大戦への反歌のようではないか。
ところが、実際のところ、お得意の「二枚舌」だと思うのだが、彼はこの作品について次のように言及する。

私の最新の交響曲には瞑想的で抒情的な秩序が支配している。私はこの中で、春、喜び、青春の気分を伝えたかった。
~同上書P118

完璧だ。

ムラヴィンスキー・イン・モスクワ1972
・チャイコフスキー:交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32
・ワーグナー:ヴェーヌスベルクの音楽(バッカナーレ)~歌劇「タンホイザー」
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90
・ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調作品54
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団(1972.1.27Live)

第2楽章アレグロのうるさいまでの壮絶さ。徐々に解放される音楽の背景には作曲者の鬱積が垣間見える。
しかし、快速の第3楽章アレグロによってショスタコーヴィチの魂は飛翔する。それにしても一糸乱れぬアンサンブル。ここでのムラヴィンスキーの統率力は並大抵でない。

作曲家たちは私の交響曲に興奮しているようだ。彼らが不満に思っていたとしても、いったい何ができただろう?彼らの好意を受けるには、私の体面を傷つけなければならない。
~同上書P119

唯一無二のショスタコーヴィチ。

 

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4 COMMENTS

木曽のあばら屋

こんにちは。
ショスタコの6番は大好物です・・・。
とくにムラヴィンスキーの72年ライヴは、
「鬼気迫る」という形容がこれほどしっくりくるものはないほどの名演奏だと思います。
これがライヴなんだから、もう言葉がありません。
10種類ほど聴いてますが、これを超える演奏にはまだ出会えません。

返信する
岡本 浩和

>木曽のあばら屋様

確かにライブとは思えない完璧な「鬼気迫る」演奏ですよね。

>これを超える演奏にはまだ出会えません。

同感です。
ありがとうございます。

返信する
雅之

商品の説明より

・・・・・・【入念なリマスター】 そうした幸運な背景を持つこれらの録音ですが、さすがに経年変化は勝てず、マスターにも多少の劣化がみられるようになり、スクリベンダム・レーベルではアビーロードスタジオでのリマスターを実施、エンジニアのイアン・ジョーンズによる丁寧なリマスターを経て、歴史的な名演が鮮烈なサウンドで蘇る。・・・・・・・

う~ん。旧ソ連時代に限らずですが、マスターテープの保存状態は大丈夫なのかなあ?

特にクラシックの場合、リマスターを経ると印象が変質するって、日常普通に経験しますからね(ちなみに、映画のような画像だと、それが誰にももっとよくわかります)。ただ綺麗になればいいってものじゃないですから。

http://ameblo.jp/q-man-9/entry-12004712434.html

現在売ってるBox set版は、果たして、我々が過去初めて体験し衝撃を受けた時の質感を保てているのか?、ムラヴィンスキーの場合、タルコフスキー同様、それが極めて重要な気がします。

買って冒険するだけのCDへの情熱はもうありません。どうせCD自体もいずれ経年劣化しますから。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>我々が過去初めて体験し衝撃を受けた時の質感を保てているのか?

いやはや、なんとも・・・。
「ノスタルジア」は、タルコフスキーの他のものも含め以前のDVDしか所有しておらず、Blu-ray版は観ていないのですが、ご紹介の記事を見ると考えさせられますね。
得るものあれば失うものあり、失くしたものあれば得るものありということですね。
ありがとうございます。

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