どんなことも受け容れられる余裕が大切だ。
充実した生活を送ると人は自然とひとつになるものなのか、あるいは、自然とひとつになるから生活が充実するのか、それはわからないけれど、1886年頃のヨハネス・ブラームスの芸術上の充実ぶりには舌を巻く。喜怒哀楽、明暗、様々な感情や思考が錯綜する、そして、一切の無駄や虚飾のない自然体の彼の「有様」が見事に表現される。
その夏、スイスのトゥーンという村を避暑で訪れたブラームス。
ここで彼は、自然とともにあり、自然を感じ、その結果創造力が飛翔した。しかもそれは、突飛もないものでなく、地に足の着いた、重厚でかつ豊かな旋律美を誇る数多の作品創出につながった。
こんなに明るく朗らかな音楽があろうか。
陽の光に満ちる森の中で佇む。
空は輝き、水は澄み、緑は大いに羽ばたく。
傑作ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100。
第1楽章アレグロ・アマービレのテーマは、ワーグナーの「マイスタージンガー」のとある主題と酷似する云々という論があるが、事の正否はこの際どうでもよい。ピアノの前奏に導かれ奏でられるこの柔和で優しい旋律こそがブラームスの神髄なのである。
ブラームス:
・ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
・ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100
・ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
ペーター・フランクル(ピアノ)(1995録音)
ヴァイオリンが泣く。ピアノが高鳴る。
第2楽章アンダンテ・トランクィロ・ヴィヴァーチェの可憐な響き。ここでのチョン・キョンファの夢見る魔法がブラームスと同期する。音楽は暗い雰囲気を示しながら、何とも開放的な情緒に富む。
また、第3楽章アレグレット・グラツィオーソの、ブラームスらしい晦渋だが濃厚な音楽に思わず快哉を叫ぶ。
若い頃の勇猛な(?)前のめり加減が退いた壮年期チョン・キョンファの名演奏。これほど爽快、自然体で流れる音楽はない。何より、ペーター・フランクルの伴奏の、どちらかというと目立たないのだけれど味のあるピアノに心動く。
人間はやっぱり自然にもっと触れるべきだ。
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チョン・キョンファの優れた音楽性と、民族固有の「恨の文化」との関係性は、良い意味で、もっと積極的に語られてしかるべきだと思います。
昨年、韓国版『ALWAYS三丁目の夕日』とも呼ばれている、「国際市場で逢いましょう」という韓流映画
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%A7%E9%80%A2%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86Blu-ray-%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%B3/dp/B013T5LSIA/ref=sr_1_2?s=dvd&ie=UTF8&qid=1463297722&sr=1-2&keywords=%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%A7%E9%80%A2%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86
を映画館で観ました。映画館で韓国の映画を鑑賞したのは生まれて初めての体験でした。
主人公の少年時代に、朝鮮戦争時の興南撤収作戦による混乱の中ではぐれてしまった妹について、何十年もたってからアメリカ人の里子になっていることが「尋ね人の時間」みたいな番組の中でわかり、韓米間のテレビ生中継を通して兄妹が会話できたシーンでは、不覚にも落涙してしまいました。昨年映画館で泣けたのは、この映画だけでした。
一方で、キムチの香りが強烈に漂ってくるような映画でもありました。日本人との感性の差を痛感したのも事実です。
でも、とてもいい映画でしたよ。
>雅之様
>チョン・キョンファの優れた音楽性と、民族固有の「恨の文化」との関係性は、良い意味で、もっと積極的に語られてしかるべき
なるほど、興味深い視点です。
ちなみに、僕自身は韓国には詳しくなく、韓流と言われるものもほとんど鑑賞したことがないのですが、ご紹介の映画は興味深いですね。『ALWAYS三丁目の夕日』の韓国版ならなおさらです。
ありがとうございます。