ヴェンゲーロフ&ロストロポーヴィチのベートーヴェン(2005.7録音)を聴いて思ふ

beethoven_vengerov_rostropovichおそらくこのゆったりとしたテンポはロストロポーヴィチの主導によるものだと思うが、正直やや間延びの感は否めない。それでもマキシム・ヴェンゲーロフの堂々たるヴァイオリンによって音楽の細部まで透けて見えることが救い。ベートーヴェンの「傑作の森」をより細密に知る上で絶好の演奏かもしれぬ。何よりヴェンゲーロフの、ロストロポーヴィチへの尊敬の念!!

森は今、花さきみだれ
艶なりや、五月たちける。
神よ、擁護をたれたまへ、
あまりに幸のおほければ。

やがてぞ花は散りしぼみ、
艶なる時も過ぎにける。
神よ擁護をたれたまへ、
あまりにつらさ災な来そ。
(パウル・バルシュ「春」)
上田敏訳詩集「海潮音」(新潮文庫)P74

世界は移り変わる。嗚呼、無常。なるほど、繰り返し聴くに及び、この遅いテンポによるベートーヴェンが実に身に沁みる。何より呼吸の深さ。そして、それに伴う丁寧な音楽作り。大いなるロストロポーヴィチの中で飛翔するヴェンゲーロフの魂。そのことは、自作のカデンツァの妙なる響きを、物申さず受容する指揮者の見えない包容力からも明瞭。第1楽章コーダの哀感が堪らない。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(カデンツァ:マキシム・ヴェンゲーロフ)
・ロマンス第1番ト長調作品40
・ロマンス第2番ヘ長調作品50
マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ロンドン交響楽団(2005.7.8&9録音)

ヴェンゲーロフ活動休止前のこの演奏は、ロストロポーヴィチとの阿吽の呼吸による(おそらく賛否両論の)名演奏。第2楽章ラルゲットにおける、ヴェンゲーロフの懐かしくも優しい歌は、繊細でまた重厚。第3楽章の余裕綽々の愉悦など、立派なヴィルトゥオジティを呈しており、この時点で間違いなく巨匠。相変わらず自作のカデンツァは美しい。

ロマンスも遅い。しかし、その分音楽は粘り、歌う。晩年のロストロポーヴィチの感性が垣間見える。そして、その音に尊敬の念を込めて追随するヴェンゲーロフの謙虚さと自信。また、ト長調冒頭のヴァイオリン独奏の愛らしさ。

時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に霞みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。
(ロバアト・ブラウニング「春の朝」)
~同上書P86

明後日19日にはヴェンゲーロフの弾き振りでベートーヴェンが披露される。これまた楽しみ。さて、どんな演奏になるのか・・・。

 

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