ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団第680回東京定期演奏会

shostakovich_6_lazarev_20160520539興奮の極み。
ショスタコーヴィチは「視覚」の人だ。舞台上手上部から眺めるオーケストラの壮絶なパフォーマンスに言葉を失った。よくもこんな音楽が生み出せたものだ。珍しい、様々な楽器を駆使してのめくるめく官能の世界。そう、抑圧されしソヴィエト連邦にあって、ショスタコーヴィチは身も心も奔放に投げ出し、音楽によって見事な色香の世界を描き出したのである。
まるで、全世界の苦悩という苦悩を背負えるだけ背負い、何とかそのカルマを流し去ろうとオーケストラの団員一人一人が懸命に音楽(ショスタコーヴィチ)と格闘する様を見た。
なるほど、今日の日本フィルの奏者は各々、全員が多大な称賛を浴びてよろしい。
その証にと言っては何だが、フルートの真鍋恵子さんは終演直後の怒涛の拍手の中で、ラザレフに指揮台まで連れて行かれ聴衆から絶大なる喝采を浴びていた。ホルンの村中美菜さんもある意味特別扱い。ショスタコーヴィチの激闘の音楽を、しかも頻出する独奏パートを今日のように凛々しく美しく、そして勇猛に演奏した団員の皆さんは日本の(?笑)誇りだ。
手放しで僕は絶賛したい。

日本フィルハーモニー交響楽団第680回東京定期演奏会
2016年5月20日(金)19時開演
ラザレフが刻むロシアの魂SeasonⅢ ショスタコーヴィチ5
・チャイコフスキー:組曲第1番ニ短調作品43
休憩
・ショスタコーヴィチ:交響曲第6番ロ短調作品54
木野雅之(コンサートマスター)
辻本玲(ソロ・チェロ)
アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団

第1楽章ラルゴの、そこはかとない哀しみ。
しかしながら、ラザレフの指揮によって生み出される音楽には大いなる温かみがあった。深い呼吸と両手から紡ぎ出される悠久の旋律は、人々を金縛りに遭わせる。
それにしてもショスタコーヴィチの頭脳は一体どんな「つくり」になっているのか?
喜怒哀楽様々な感情の坩堝たる音楽の奥底に潜む、あまりに人間的な一体感。なるほど、日本フィル団員の緊張感は並みでなく、必死で音楽に食らいつく様子に感動すら覚えた。
また、第2楽章アレグロにおける各々のソロも見事。途中のトゥッティの爆発は、ショスタコーヴィチならではの卒倒もの。
そして、終楽章プレストの格別なる前進性に作曲者が託したであろう未来への希望を発見する。それにしても、コーダでの阿鼻叫喚、がっぷり四つの妙法炸裂、音楽の波状攻撃に僕はいかれてしまった。(笑)(相変わらず拍手が早過ぎる。もう少し余韻に浸りましょう)

ところで、前半のチャイコフスキーは開演に間に合わなかったため、第2曲「ディヴェルティメント」から2階席後方で立ち見。いかにもチャイコフスキーらしいロシアの憂愁が素晴らしく歌われていた。第4曲「小行進曲」の愉悦などは後の「くるみ割り人形」に通じる軽快さ。第6曲「ガヴォット」の最後の盛り上がりに涙。

 

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