バーンスタイン指揮ウィーン・フィルのハイドン交響曲第88番(1983.11Live)ほかを聴いて思ふ

haydn_88_bernstein_vpo548死は(まともに考えれば)ぼくらの生の真の最終目標ですから、ぼくは数年このかた、この人間の真の最上の友にとても馴れ親しんでしまいました。そのため、死の姿はぼくにとって少しも恐ろしいものではなく、むしろ多くの安らぎと慰めを与えるものとなっています!そして、神が死こそぼくらの真の幸福の鍵だと知る機会を(おわかりですね)与えてくれたことに感謝しています。―ぼくは(まだこんなに若いのに)毎晩、床につくとき、もしかして明日はもうこの世にはいないのではないかと考えないときはありません。
(1787年4月4日付、レオポルト宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P367-368

おそらくフリーメイソンの影響が大きい。それにしても、父親の死を目前に控えた31歳のモーツァルトのこの死生観は、異様ともいえる達観だ。以降、モーツァルトの音楽は、いよいよ純粋かつより高次の域に入っていくことになるのだが、この頃のヨーゼフ・ハイドンの作品も、モーツァルトの影響を直接受けたわけでもあるまいに、生の喜びを謳歌する(それはすなわち最終目標である死に向かって今ここを堪能するということでもある)かのような特段の光輝を放つ。
闇あっての光、光あっての闇。

交響曲第88番ト長調。
西洋クラシック音楽のひとつの完成形だろう。
旋律の魅力に溢れ、すべてを包含する、これほど見事なバランスの作品はない。
明朗さの中にふと現れる暗澹たる苦悩の念。
第1楽章アダージョの序奏にみる崇高さ。また、主部アレグロの躍動。
また、第2楽章ラルゴの子守唄の如くの安寧。その静けさを破る突然の熱狂。
晩年のバーンスタインの粘る表現をもってして、音楽は生々しく映る。
そして、第3楽章メヌエット主部の堂々たる趣とトリオの優雅。終楽章アレグロ・コン・スピリートの疾走。すべてが美しい。

ハイドン:
・交響曲第88番ト長調Hob.1:88「V字」(1983.11Live)
・交響曲第92番ト長調Hob.1:92「オックスフォード」(1984.2Live)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

同様に、第92番ト長調の内にも垣間見える哀感と愉悦。音楽の完璧。
第1楽章序奏の透明感と、続く主部アレグロ・スピリトーソの重厚でありながら懐かしい旋律に心躍る。第2楽章アダージョは、モーツァルトのそれを思わせる至純の歌。特に、弦楽器に応答するウィーン・フィルの木管群の妙なる音色に感動。
さらに、勇猛な第3楽章メヌエットを経て、終楽章プレストの、決して急がず慌てず、音符のひとつひとつを丁寧に鳴らし、聴く者に奉仕しようとする指揮者の思念。
これこそハイドンの慈しみの音楽だ。
ここにもまた、バーンスタインの愛情がこぼれる。

 

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