バルビローリ指揮フィルハーモニア管のエルガー「エニグマ変奏曲」(1962録音)ほかを聴いて思ふ

elgar_1_barbirolli_po151アーサーが、以前は音楽に無関心であったのに、これほど熱心にそれを味わうようになったわけが、スージーにはわかったような気がした。音楽は、彼の悩みを現実を超えた世界に移し入れることによって、それを医すのだ。言いかえれば、彼自身のいたましい悲しみのために、音楽はそれほど切実になり、異常にまで激越な感激が、彼に愉悦を与えているのだ。劇が終曲に近づき、イゾルデの最後の慟哭の歌が終わったときには、アーサーはまるで精魂を使い果たしたように、身うごきもできなかった。
サマーセット・モーム作/田中西二郎訳「魔術師」(ちくま文庫)P222

コヴェント・ガーデンでの「トリスタンとイゾルデ」。
アーサーを虜にする音楽の魔力のいかに大きいことか。

魔法とか神秘説とかの話をなさるのでしたら、とてもこれはぼくの理解のほかです。
~同上書P55

当初、アーサーはこんなことを言っていたくらいなのだから。それに対して、オリヴァー・ハドゥーはすぐさま次のように応酬するのである。

しかし魔術とは、意識的に目にみえぬ手段を用いて、目にみえる結果を生みだす術にほかなりません。意志、愛、想像力等は、万人がもっている魔術的な力ではありませんか。それらの力を最高度に発揮する方法を知る者が、すなわち魔術師です。魔術にはただ一つの理論しかありません―すなわちそれは、可見のものは不可見のものの尺度である、ということです。
~同上書P55

なるほど、音楽を創造する者、また再生する者は魔術師の最右翼なのかも・・・。

1886年10月6日、エドワード・エルガー29歳の時、音楽教室に37歳のキャロライン・アリス・ロバーツが入門。音楽好きのこの女性は、後にエドワードの妻となり、彼を生涯支えることになる。

娘キャリスの回想。

母は物書きになりたいという夢を諦めて、父の成功を助けることに誇りを感じていた。
水越健一著「愛の音楽家エドワード・エルガー」P18

エルガーも英国を代表する魔術師のひとりであるが、しかし、そこには妻キャロライン・アリスの愛情と尽力があってこそだということがわかる。
魔術的な力は万人がもっているにせよ、誰かの協力を得られずば、その力も最大限に発揮されぬもの。

エルガー:
・独創主題による変奏曲作品36「エニグマ」(1962録音)
サー・ジョン・バルビローリ指揮フィルハーモニア管弦楽団
・行進曲集「威風堂々」作品39(1962&66録音)
サー・ジョン・バルビローリ指揮フィルハーモニア管弦楽団&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
・弦楽セレナーデホ短調作品20(1962録音)
サー・ジョン・バルビローリ指揮シンフォニア・オブ・ロンドン

何と思い入れの深いエルガー。
友人たちの仕草を音化した「エニグマ変奏曲」にある温かさ。それでいて決して重くならない純粋さ。あの第9変奏「ニムロッド」などは右に出る者のいないほどの静けさと慈悲深さ。サー・ジョンはエドワードに恋しているよう。
あるいは、弦楽セレナーデにおける滋味。特に第2楽章ラルゲットのこの愛らしい渋さはエルガーならではの魔法であり、それを見事に再生するサー・ジョンの類い稀なる力量。

出逢いというのは真に不思議だ。それによって人生のすべてが決まるのだから。

 

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2 COMMENTS

雅之

>サー・ジョンはエドワードに恋しているよう。

>出逢いというのは真に不思議だ。それによって人生のすべてが決まるのだから。

イギリスを代表する指揮者のひとり、サー・ジョン・バルビローリだって、イタリア人の父とフランス人の母が出逢ったことにより、ロンドンで生まれているのですしね(笑)。

「 魔法の瞳」( 作詞:松本隆 作曲:大瀧詠一)より

ス・テキな夜
キ・スをして
だ・きしめながら
よ・ぞら飛びたい

Blue の夜明けまで 星が薄れるまで
とけない魔法を かけておくれ

http://www.kasi-time.com/item-12859.html

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岡本 浩和

>雅之様

ということは、バルビローリは移民2世ということですかね・・・。
大瀧詠一の曲も素晴らしいですが、松本隆の洒落たセンスが堪りません。

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