放心。人間の内面を抉り出すのに力は要らない。ただ大自然と同期するのみ。
森の木々が騒めき、鳥は囀り、虫が鳴く。
一条の光差せば背後に影もできる。すべてのバランスを保つかの如くのヨハネス・ブラームス。
カール・シューリヒトの演奏の醍醐味は呼吸の自然さにある。いかにも即物的な外面を保ちながら、その実、火傷しそうに血のたぎる奔流。
例えば、一見、間の抜けたような(?)テンポのハイドン変奏曲だが、この泰然とした流れこそ彼の真骨頂であり、ここにはまさに調和の感が存する。
あるいは、交響曲第4番にみる巧みなフレージング、ゆらぎの妙。第1楽章アレグロ・ノン・トロッポにあるこのゆらゆら感というのは、他の指揮者には感じられない独特の感覚であり、また人工臭のない絶妙なテンポの伸縮も他の誰にもない自然さだ。
また、終楽章アレグロ・エネルギーコ・エ・アパッショナートの能天気な愉悦(?)は、あまりにその音楽の本質とかけ離れているようだが、さにあらず。
老練の指揮者の、おそらく持つものすべてを映し込んだ演奏は、虚心に耳を傾ける者にしかわからぬ侘び寂がある。そう、信じることだ。
ブラームス:
・交響曲第4番ホ短調作品98
・悲劇的序曲作品81
カール・シューリヒト指揮バイエルン放送交響楽団(1961.9録音)
・ハイドンの主題による変奏曲作品56a
カール・シューリヒト指揮南西ドイツ放送交響楽団(1962.9録音)
そして、僕の心をとらえ、一層素晴らしいのは、悲劇的序曲。冒頭の2つの和音から聴く者を金縛りに遭わせる。
心身共に充実していた頃の作曲家の、決して無理のない音楽の運び。それでいて内から湧き立つ悲劇性。ブラームスの音楽に共感し尽すシューリヒトの心と魂。血が通うとはこういう演奏をいうのである。
自然というものは、つまらなくはない、
歯医者の女房なぞというのが、つまらないのだ。
よくもまああんなにしらばっくれてる、
でもね、あいつらにはあいつらで感情の世界があるのだ。
どっちみち心悸亢進には近づきつつあるのだが、
そのうち隠居するという寸法なんだ。
つまりまあ馬鹿でなければ此の世に問題はない。
問題がなければ生きてはいられない。
(中原中也)
思考や感情に縛られる人間って愚かだ。
しかしまた、それゆえにこそ生きる意味があるのだろう。
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シューリヒト指揮の演奏については、同感です。
ところで、森林率や原生林率について、日本はドイツに負けていないません。
あのフィンランドでさえ、
国土面積.....338,432Km2
森林面積.....219,350Km2(2010年)
原生林.......14,000Km2 (欧州共同のBoreal natural forestの基準に相当する森林)
森林面積の割合は大きいですが、自然林の割合は国土の4.1%しか残っておらず、森林の殆どが経済林だそうです。伐採された後の植林は厳しく義務付けられており、CO2の貯蔵能力の観点からは問題は少ないのですが、原生林が減っている分、生物的多様性の維持に懸念が持たれています。
私たちは、日本の森林についてもっと誇りを持ち、大切に守っていきたいですね。
※参考サイト
http://watashinomori.jp/study/basic_01.html
http://www.shinrin-ringyou.com/forest_japan/jinkou_tennen.php
✖ ところで、森林率や原生林率について、日本はドイツに負けていないません。
〇 ところで、森林率や原生林率について、日本はドイツに負けていません。
いつものことながら、すみません。
史跡名勝天然記念物、富士山原始林の近くにご滞在中とのこと、いいですねぇ。
>雅之様
>私たちは、日本の森林についてもっと誇りを持ち、大切に守っていきたいですね。
おっしゃるとおりですね。
ワークショップのため富士の麓の山中湖畔に滞在しておりました。
空気がまったく違います。
とても良い2日間でした。
ありがとうございます。
[…] 個を越える表現というのなら、シューリヒトがバイエルン放送響を指揮した録音の方がより一層。あるいは、ワルター晩年のコロンビア響とのそれも最右翼。 とはいえ、音楽の沈潜と爆 […]