コルネリウス・マイスター指揮読響第594回名曲シリーズ

meister_yomikyo_20160719598僕たちはともすると表層を意識しがち。
外面にとらわれることなかれ。
大切なのは中身、すなわち心なのである。自戒の意を込めて。

参った。気合いが入り過ぎていると言えば元も子もないが、予想通りの素晴らしさ。
重厚なブラームスは、やっぱり後期浪漫派なのだと合点した。
コルネリウス・マイスターの律義で正当な解釈に感動した。多少の食い違いも何のその。未来への大いなる希望を託して、ベートーヴェンが、そしてブラームスが炸裂した。

前半のベートーヴェンの協奏曲は、繊細で円やかな、それこそ安定した名演奏。
何よりバイバ・スクリデの独奏の美しさ。微音も強音も実に透き通り、聴く者の肺腑を抉った。どの楽章も相変わらず宙から湧き立つ音の出に感動。コルネリウス・マイスターの若さゆえの冒険あり。しかし、全体を通じてソリストに寄り添うように奏でられるその音楽に心動いた。この指揮者は協奏曲の伴奏にも力量を発揮するのである。
クライスラー作のカデンツァの有機性。独立したヴァイオリンが、立体的な音楽を生み出す妙。
また、アンコールのヴィヴァルディを髣髴とさせる終始弱音で奏される音楽に没頭した。

読売日本交響楽団第594回名曲シリーズ
2016年7月19日(火)19時開演
サントリーホール
バイバ・スクリデ(ヴァイオリン)
長原幸太(コンサートマスター)
コルネリウス・マイスター指揮読売日本交響楽団
・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
~アンコール
・ウェストホフ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調~第3曲「鐘の模倣」
休憩
・ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73

読響の弦楽器群の奥深さ。対抗配置のオーケストラの紡ぎ出す音楽は重みと厚みがあり、ブラームスが19世紀後半の人であり、決して保守的でない革新的な作曲家だったことを思い知る。マイスターの、楽章間のブレイクをしっかりととり、各々の楽章を丁寧に、しかし雄渾に指揮する様は、指揮姿といい、出てくる音楽といい、実に挑発的だった。
中でも、終楽章アレグロ・コン・スピリートの爆発!!終結に向かっての大それた前進性に思わず唸った。そして、頭が真っ白になった。
残すところは円熟味。
30代半ばの指揮者ゆえ時に空回りする感は否めない。
ブラームスの侘び寂を感得させるというより青春の充実を思わせる音楽。しかし、彼が大器であることは間違いない。

サントリーホールの座席で、僕は鏡の中にあるのかと錯覚した。
現実と幻が錯綜し、のめり込む瞬間が訪れたかと思いきやふと醒める瞬間もあった。
音楽の非再現性。
今この一瞬を分かち合うことの大切さ。
演奏の良し悪しがどうあれ、生きていることの幸せを痛感した。
美しいひとときだった。

 

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