ムター&トロンハイム・ソロイスツのヴィヴァルディ「四季」ほか(1999.5Live)を聴いて思ふ

vivaldi_mutter_1999609神よ 時が来ました。夏はまことに偉大でした。
あなたの翳を 日時計の上に置きたまえ、
野に いくたの風を解き放ちたまえ。
「秋の日」
片山敏彦訳「リルケ詩集」(みすず書房)P58

アンネ=ゾフィー・ムターの演奏にある現代的で研ぎ澄まされた先鋭な響きの秘密は、他の演奏家の影響を決して受けず、あくまで自身の感覚と思考のみを信じるところにあるのだと思う。
そのことは、まだ17歳の彼女のインタビューからすでに感じとることができる。

当時、ほかのヴァイオリニストのレコードとか演奏に影響を受けるかという問いに対しての彼女の答。

ないと思います。ダヴィド・オイストラフは好きですが・・・。でも私はアンネ・ゾフィー・ムターで、オイストラフはオイストラフですから。

また、ある作品に取り組むのにほかの演奏家の解釈を参考にしないのかという問いには次のように。

いいえ、まず私は読むんです。それからヴァイオリンをとりあげて弾く・・・。作品をすっかり覚えてしまってからどう弾きたいか頭の中で歌ってみるんです。

揺るぎのない確固とした軸を持ち、技術と音楽性を練磨することが大切だ。
同時に、ジャンルの壁を排し、音楽に限らずあらゆる芸術文化に興味を持ち、謙虚に学びとろうという姿勢。もちろん本人はただ様々な音楽を愛するというだけなのだが。

以前はハイネやヘッセ・・・いまはリルケが好きです。
ジャズが大好きで、パリではトランペットのディジー・ガレスピーに会いました。ロックではビートルズとかローリング・ストーンズなど・・・。
ツアーの合間に時間ができたときは、ほかの人の演奏会へ行ったり、美術館を訪ねたり・・・バレエも観ます。

好奇心旺盛であることが重要だ。

・ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」
―協奏曲第1番ホ長調作品8-1RV269「春」
―協奏曲第2番ト短調作品8-2 RV315「夏」
―協奏曲第3番へ長調作品8-3 RV293「秋」
―協奏曲第4番へ短調作品8-4RV297「冬」
・タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン&指揮)
オイヴィン・ユィセム(チェロ)
クヌート・ヨハンセン(チェンバロ)
トロンハイム・ソロイスツ(1999.5Live)

入魂のヴィヴァルディ「四季」。
少しばかり丁寧過ぎるようにも思われる「冬」の繊細な音楽に癒される。
また、「夏」の気怠くも劇的な表現にイタリアの灼熱の太陽の厳しさを想像する。
そして、彼女の奏する「春」に垣間見る不思議な重さは、それこそリルケの詩に通じるものでなかろうか?

ふたたび森が薫る。
われらの肩に重かった空を
雲雀たちが引き上げながら漂い昇る。
枝間に見える昼の光は まあ冬枯の時のままだと
思っているうちに
毎日の午後を雨が降り 時の歩みが緩やかだ。
そんな午後が幾日かつづいたあとで
こんじきの光にまみれた
目立ってさわやかな時間が来る。
「或る四月の中から」
~同上書P52

それこそ「金色の光にまみれた爽やかな時間」!!
十八番のタルティーニが美しい。透明感抜群の第1楽章ラルゲット・アフェットゥオーソの哀感。続く第2楽章アレグロの堂々たる、それでいて自由な響き。
「悪魔のトリル」を有する終楽章の余裕と技巧に感服。良い音楽だ。

※ムターのインタビューは「レコード芸術」1981年10月号(音楽之友社)より抜粋引用。

 

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2 COMMENTS

雅之

人は経験を重ねて変わりますよね。

前々回、ラトル&BPOのシベリウス全集BDのことをコメントしてから、1982~3年ごろだったか、ラトル&フィルハーモニア管弦楽団の来日公演でシベリウスの第2交響曲を聴いてそれなりに感動していたことを、何年かぶりで思い出しました。BDを視聴している時にもすっかり忘れていましたから、我ながら呆れたものです。

ほぼ同時期にムターの実演も聴いていますが、当時は美音だけど音量は小さく感じ、カラヤンの寵児とマスコミが騒いでたわりに印象に残っていません。

人は経験を重ねて変わりますよね、演奏する側も聴く側もお互いに。

自分なりに本当に欲しいものだけを手に入れた現在の私は、これからは欲張らずに、むしろ「さとり世代」の生き方から学ぶことが真の心の豊かさにつながるのではと、気付き始めています。流行りのアドラー心理学とも矛盾していないとも思うのです。

それは、他人に言わせれば退化かもしれないけれど、自分にとってはやっぱり進化なのです。あの人の交響曲が2番から4番に作風が変化したように、今は無駄を削ぎ落としたいのです。

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岡本 浩和

>雅之様

素晴らしいですね!
おっしゃるとおり人間の記憶なんていうのは実に曖昧です。
本当に経験を重ねて、古い記憶はある意味削ぎ落とされ、変化していくのだと思います。

実は僕も1982年の大阪国際フェスティバルでムターの実演を聴いております。
あの時は、18歳の僕なりにとても感動しました。
しかし、今の彼女の演奏に感じるそれとは明らかに異なります。
ムターも進化し、僕もそれなりに進化しているということでしょうか・・・。

>あの人の交響曲が2番から4番に作風が変化したように、今は無駄を削ぎ落としたいのです。

名言です!
毎々ありがとうございます。

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