恋愛と創作

schumann_carnaval_rubinstein.jpgロベルト・シューマンがエンデニヒの療養所生活を始めたのは1854年3月4日。その日から、亡くなる2日前、すなわち1856年7月27日までの2年半もの間、妻のクララはもはや廃人と化した夫に会うことは一度もなかった(この間、ブラームスやヨアヒムはロベルトを見舞っている)。
なぜクララは2年半もの間、愛するロベルトに会わなかったのか?
摂食障害に陥り、痩せ細っていた患者の姿を見せまいと精神科医リヒャルツ博士が気を利かせ、面会謝絶にしていたという見解。7人の子どもを養うという経済的な事情からコンサート活動に奔走せざるをえなかったという事情。あるいは年下の友人であるヨハネス・ブラームスとの束の間の恋に耽っていたのではないかという噂。
しかし、残された手紙から推測するに、最後の最後まで夫を愛していたことは疑いようのない事実だろうゆえ、生活に追われそれどころでなかったという理由が一番しっくりくる。それにしても2年半とは長い・・・。
父の反対により法廷闘争まで縺れ込んだシューマン夫妻の結婚の顛末は、当時の二人の熱烈なラブレターを読むにつけとても興味深い。少なくとも恋愛がスタートした当初、片時も離れられないほどの絆が二人の間にはあった。ひょっとすると、「精神病院に入る」ということが「収監」同様、一般的には忌み嫌うべき対象として認識されていたということも考えられる。当時のヨーロッパ音楽界において飛ぶ鳥を落とす勢いの人気ピアニストであったクララ・シューマンがまさかそういう場所に関わるということは想像を絶することだったのかもしれないし・・・。
いずれにせよ真相はわからない。ロベルトが愛するクララに贈った名曲の数々を聴きながら、勝手な想像を働かせよう。

Mさんのおススメで、「キパワーソルト」入りの足湯に浸かった。43度ほどの熱めのお湯に15分ほど。悪いものが足先からすーっと出ていくような心地良さ。本当は邪気払いの意味も兼ねて(笑)、節分の昨日にやりたかったのだが、生憎「件の塩」が手に入らず、一日遅れ。まぁよしとしよう。

シューマン:
幻想小曲集作品12
謝肉祭作品9
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)

この2つの作品は、シューマンに絡む二人の女性に因んで生み出されている。「謝肉祭」作品9は、1834年当時婚約を交わしていたエルネスティーネ・フォン・フリッケン嬢のために、そして「幻想小曲集」作品12は1837年、クララ・ヴィークとの愛の高まりの中で創作された、いずれも「恋愛」こそがイマジネーションの源泉である証の傑作。若き日のシューマンのピアノ曲はいずれも「熱々」(笑)。老青年ルービンシュタインの色気あるピアニズムが一層輪をかける。

「私はロベルトに会った。夜の6時から7時の間だった。彼は私に微笑み、限りない優しさで私に口づけした。彼はもはや自分の意思で手足を動かすことができなかった。もはや私に手を差し出すことができなかった。私は決してあの姿を忘れないだろう・・・。私のロベルト、私たちがこんなふうに会わなくてはならないなんて。・・・あの人が2年半前に、さようならも言わずに私から引き離されてから私が耐え忍んできたこと、今あの人の枕辺で私が無言のうちに苦しんでいること、そのようなことの全てがほとんど何でもなかった。私には時々こちらに向けられるあの人の目があったのだから。ぼんやり
してはいたが、それは言いようもなく優しい眼差しだった。」(1856年7月27日、クララがロベルトに最後に会った日の日記)~「クララ・シューマン(カトリーヌ・レプロン著・吉田加南子訳)」(河出書房新社)


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
シューマンというと、すぐ「精神分裂病」という言われ方をしますが、そのステレオタイプ的な見方に、いつも反発しています。本物の芸術家は「おかしな人」しかなれないと思っていますので・・・。私に言わせれば、ブラームスなんて、クラシックの作曲家の中では常識人過ぎて全然面白くないくらいなんですが。それとピアノの名曲をたくさん書いていた当時のシューマンは、晩年とは全く違うと思います(両方好き)。
最近思うんですが、シューマンのピアノ曲って、ブルックナー以上に聴く人を選ぶんじゃあないですかね。皆さん、評価してない人が多くて、本当に驚きます。
今、古本屋で手に入れて通勤途中に読んでいる、「新版 クラシックCDの名盤」(宇野巧芳 中野雄 福島章恭 共著 文芸春秋)の中野雄氏の文章の中に、こんな記述があります。
・・・・・・「ショパンとシューマンの音楽の美しさは、ともにそのたうたうような不安定性の中にある。(それがロマン主義の特色だといえば身もふたもない話になるが・・・・・・)しかし、ショパンの場合には、そうした『不安定性』がそれ自体彼の音楽のなかに構造としてある。ビルト・インされている。だからショパンは不安定性の美の古典たりうる。シューマンはちがう。彼のは安定と不安定の間を動揺しているような、そうした種類の不安定だ。・・・・・・ピアノ協奏曲を除いたら、おそらくシューマンの完璧といえる作品はリートではないだろうか。シューマンのピアノ曲には何かもうひとつはがゆいところがある」(丸山眞男・遺稿『自己内対話』
長い引用になったが、シューマンの音楽の真髄を衝いて余すところない発言だと思う。・・・・・・・・・・
ハハハ、お生憎様、知識人のお二人は、完璧な人間や作品しか認めないんですね。そういうシューマンのピアノ曲の持つ、安定と不安定の間を動揺している焦燥感のはがゆい醍醐味こそ、現代人にも通じる、典型的にロマンチックで魅力的な部分なんですがね(青春の音楽といわれる所以)。
いっそのこと宇野先生のように、
・・・・・・最近ドイツ・ロマン派がいささかうっとうしいぼくなので、シューマンに対してもずいぶん距離をおくようになってしまったが・・・・・・
・・・・・・ぼくには苦手な作曲家が多いが、ショパンもその中の一人。別に彼が居なくても何の痛痒も感じない・・・・・・
と言ってくれたほうが、シューマンもブラームスもショパンもへったくれもなく、よほど公平な批評で好感が持てますが(笑)。
ルービンシュタインのシューマン、アムランと同じで、シューマン嫌いの人向けの名演のひとつだと感じておりますが、どうでしょう?

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岡本 浩和

>雅之様
さすがシューマン評論家!全て的をついたご意見ですね。
「新版 クラシックCDの名盤」は同じく僕の愛読書で、中野雄氏の言葉にはいちいち納得させられます。ただ、おっしゃるとおりインテリの方々の感じ方といえばその通りでしょうか。本音を言えば僕も宇野氏の感覚に近いですね。
ここのところ、シューマンについての書籍を読み漁り、シューマンが本当に人間っぽい真の天才だったことに気づかされます。「おかしな人」こそ天才ですね。とはいえ、ブラームスはある意味常識人かも知れませんが、彼の音楽を愛して止まない僕にしてみれば、ブラームスはブラームスで最高です!!!(失礼m(__)m)
>ルービンシュタインのシューマン、アムランと同じで、シューマン嫌いの人向けの名演のひとつだと感じておりますが、どうでしょう?
あぁ、そうかもしれません。アムランのシューマンは未聴ですが、シューマン嫌い(笑?、いや、決して嫌いじゃないですが、遠い存在でした)だった僕にはうってつけの名演です。

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