クレンペラー指揮フィルハーモニア管のマーラー「復活」交響曲(1961&62録音)を聴いて思ふ

mahler_2_klemperer_po_1961623長いものに巻かれるのではない。
自分の確信を繰り返し選択し続けることが重要だ。

「《之より入る者おおし》」と、ヴォーティエ牧師はつづけた。そして、彼は説きつづけた。わたしは、笑いさざめき、浮かれたようすで行列をつくって歩いてゆく多くの着飾った人たちを思い浮かべた。そして、わたしは、その人たちと歩みをそろえる一足ごとに、アリサから遠ざかるようだったので、とうていそんな仲間入りはできないし、またしたくもないと思った。―牧師は、ふたたび本文の冒頭を口にした。そしてわたしは、努力してそこからはいらなければならないという狭き門を見た。
アンドレ・ジッド作/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P27

グスタフ・マーラーの矛盾は、孤高を創造し貫いたことと、その方法があまりに着飾っていて、世間の人を翻弄したことだろう。彼に追いつくのにかなりの時間を要した。

彼(ハンス・フォン・ビューロー)に僕の葬礼(第2交響曲第1楽章のこと)を弾いて聴せたら、彼は神経に障ったように驚いて、「トリスタン」も僕の曲に比べたらハイドンの交響曲みたいなものだ、とのたまわって、狂人のようなしぐさをしたよ。
(1891年11月28日付、フリードリヒ・レーア宛)
ヘルタ・ブラウコップフ編/須永恒雄訳「マーラー書簡集」(法政大学出版局)P100

ビューローといえど理解できなかった、世間を騒がせた大交響曲。
この交響曲の初演後まもない演奏に参加したオットー・クレンペラーは、ゲネプロに来ていたマーラーと対面、即座に魅了され、彼のもとに行くという目標を持ったのだという。奇人クレンペラーは、マーラーのすごさを知っていたのである。

彼はわたしの姿を認めると、さっそくわたしの手を握りしめ、「とてもよかった」と言ってくれた。わたしはもう天にも昇る心地だった。この日を機に、わたしはたったひとつの望みを抱くようになった。ヴィーン宮廷歌劇場の監督マーラーのもとに行くという望みだ。フリートに相談し、どうしたら彼の関心を引くことができるか尋ねたところ、「この世でマーラーが関心を寄せているものはたったひとつ。つまり彼の作品だ」と言われた。そこでわたしは机に向かい、第2交響曲のピアノ連弾版をつくった。
エーファ・ヴァイスヴァイラー著/明石政紀訳「オットー・クレンペラー―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(みすず書房)P34

認められたいという願望が叶うと、人は動機を強める。動機が高まれば自ずと行動につながり、他に影響を与えることができるということだ。
ちなみに、残念にも完成したピアノ譜は現存していないという。アルマ・マーラーの個人収集の中で失われてしまったらしい。

・マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ヒルデ・レッスル=マイダン(メゾソプラノ)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団&合唱団(1961.11&1962.3録音)

オットー・クレンペラーのマーラーは、情緒に傾かず、極めて冷静沈着でありながら巨大(感情に流されない分多少大味にはなるのは仕方あるまい)。この客観性はマーラーの音楽を知る上で重要な要素だと思う。僕たちを陶酔させるのでなく、あくまで頭脳明晰に作品を理解させてくれるからである。

また、レッスル=マイダンによる第4楽章「原光」の深み、そして透明感。
続く終楽章冒頭、一瞬の空白の後のエネルギーの爆発。何より一貫する壮大な熱量に感動。
さすがに壮年期のシュヴァルツコップは安定した歌唱を示す(そういえば彼女が90歳で亡くなって早10年が経過する)。レッスル=マイダンとの最後の重唱の巧みさ!

 

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