チョン・キョンファ&マーツァルのシベリウス(1973.5.16Live)ほかを聴いて思ふ

kyung_wha_chung_sibelius_tchaikovsky_live677過去を点としてとらえるのではなく、現在につながる線として考えられると、すべての体験が贈り物だと思えるようになろう。人生に何一つ無駄はない。過去に執着しても仕方がない。しかしそれを振り返って懐かしむのは心にも身体にも良いこと。「今となっては」すべてが宝なのである。
1970年代のチョン・キョンファの挑発的で赤裸々な演奏は、録音においても先鋭的だ。鋼のような音の内側に感じられる柔和さ、優しさがまた人を魅了する。人間的な温かさが滲み出る音楽は永遠だ。
あの頃、キョンファは恋をしていた。

東京ではホテル・ニューオータニの廊下でドアが激しく音を立てて閉まった。彼がかたくなに口をつぐんでいるので、マルタは荷物をあさり、ついに証拠となる手紙を手に入れた。彼の顔に結婚指輪―彼女が一生で身につけた唯一の指輪だった―を投げつけ、ヨーロッパ行きの最初の飛行機に乗った。韓国人ヴァイオリニスト、キョンファ・チョンからの手紙だった。素晴らしい演奏家で、指揮者のミュンフン・チョンの姉でもある。「彼のいちばんの愛よ」とはマルタの弁だ。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P192

これほど血の通ったチャイコフスキーはそう簡単には出会えまい。
独奏者とオーケストラが完璧にひとつになって奏でられる協奏曲に、その日の聴衆は何を感じたのだろう。壮絶な第1楽章アレグロ・モデラートが終った後に湧き起こる拍手を聴くと目の前の出来事が只事でないように思える。恐るべき緊張感!
続く第2楽章カンツォネッタの厳しくも切ない安寧に、そしてキョンファのヴァイオリンが奏でる甘い旋律に彼女が恋の渦中にあるのだろうことを僕は感じ取る。この時期シャルル・デュトワとの関係がどうなっていたのかは知らない。しかし、少なくともいまだ彼女は彼を心から愛していただろうし、彼もまた同様の思いだったのではなかったかと思われる。それくらいその音楽は熱い。終楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモの狂おしい激情!!突進するコーダに聴衆は熱狂的な拍手とブラヴォーを重ねるのである。

・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
ズデニェク・マーツァル指揮フランス国立放送管弦楽団(1973.5.16Live)
・チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
シャルル・デュトワ指揮フランス国立管弦楽団(1978.10.18Live)
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)

こんなものに3,000円近くを投入するのは愚かといえば愚かなのかもしれない。しかし、「絶頂期」、「聴いて金縛り」などという単語が並べられればどうにも手に取らずにはいられない。80年代のチョン・キョンファの実演はすごかった。90年代のそれももちろん。2000年代に入ってのものも間違いなく彼女の素晴らしさを伝えてくれるものだったことは間違いない。しかし、こういう録音に触れると、1970年代の彼女の演奏がいかに超越していたかがわかり、それを聴くことができなかったことが本当に悔しくなる。

ジャン・シベリウスはチョン・キョンファの十八番である。
何という凄さ!!使い古された表現だが、まさに「鬼神が乗り移ったような」衝撃!!
この作品を初めて聴いたときの感動が蘇る(それにしてもデッカのスタジオ録音にはないライヴならではの激震!!多くの方に耳にしていただきたい)。見事な集中力とぶれない意志が投影される第1楽章アレグロ・モデラートは、何と素晴らしい音楽なのだろう!!特に独奏パートの峻厳な外面の内側に存在する目くるめく官能が堪らない。
また、第2楽章アダージョ・ディ・モルトにおける、ゆったりと歌われるヴァイオリンの旋律にもただならぬ命懸けの音楽が投影される(クライマックスに向けての感情の発露は桁外れ)。そして、終楽章アレグロ・マ・ノン・タントの、息苦しくなる程の厳しさ。
それにしても、キョンファに刺激を受けたオーケストラの伴奏の壮絶さも並大抵でない。

 

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2 COMMENTS

雅之

>「鬼神が乗り移ったような」衝撃!!

私の場合、あくまでも録音からだけの感想ですが、誤解を恐れずいえば、チョン・キョンファの演奏からいやでも伝わってくる要素のひとつが、あの民族固有の「恨」です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A8

たとえ人間や自然や神への賛歌であっても、すべての芸術が人間の深層心理のネガティブな源泉から湧き出てくるのならば、あの民族固有の「恨」は極めて強い武器に成り得るのだと思っています。

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岡本 浩和

>雅之様

おっしゃるとおりですね!
キョンファが年齢と共に丸くなり、演奏表現がある意味大人しくなっていくのは、そういうネガティブな深層が中和されていった結果なのかなとも思いました。
ありがとうございます。

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