佐藤久成ヴァイオリン・リサイタル

hisaya_sato_violin_recital_20161105678想像以上に地味な印象。正直その風貌に華はない。
しかし、演奏が始まるや様相は一変する。音楽の型にはまらない自由さ、そして超絶技巧をよりどころにしての奔放で色彩豊かな七変化的表現。僕は思わず釘付けになった。
作品によってこれほどまでに音色が変わるヴァイオリニストは聴いたことがないかも。

カミーユ・サン=サーンスの内側に在る、ソフィスティケートされた喜びと悲しみの対比。音楽は端から躍動した。また、ジョルジュ・エネスコに見る民俗的熱狂。戦争の歴史の中にある20世紀の、それこそナショナリズムを鼓舞するいかにも閉ざされた作品が、それに反発するかのようにジプシー的要素を全面に表出し、それこそ飛翔する様の見事な音化に感動。素晴らしかった。

現代芸術のもっとも先鋭な課題は、世界性と固有性の統一にある。
ナショナリズムだとか、民族主義などという観点からでなく、
もっと肉体的に自分の神秘、その実体を見つめなければいけないと私は考える。
世界における同質化、ジェネラリゼーションが拡大すればするほど、逆に
パティキュラリティーも、異様な底光りをおびながら生きてくるような気がしてならない。

一つの民族は固有の暗号をもっていると思う。いわば民族の秘密みたいなもの。
それは見えない暗号でありながら、また生活的には、形となったり色となって表現される。
そもモチーフは言葉では説明のしようがない。
こういう無言の地点から民族の文化・芸術を理解すべきだ。
岡本太郎作品・文/岡本敏子編「歓喜」(二玄社)P75

やはりすべてはひとつであること、イデオロギーを抜けなれば未来はないと太郎は見抜いていたのだと思う。作品によって異なる印象を与える佐藤久成の演奏の根本はそれこそ同質である。僕は今日、世界性と固有性の統一を体験した(ように思った)。

佐藤久成ヴァイオリン・リサイタル
2016年11月5日(土)14時開演
東京文化会館小ホール
佐藤久成(ヴァイオリン)
小田裕之(ピアノ)
・サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調作品75
・エネスコ:ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調作品25「ルーマニア民謡風」
休憩
・ヴェーベルン:ヴァイオリンとピアノのための4つの小品作品7
・バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ第1番Sz.75
アンコール~
・ボーム:カヴァティーナ作品314-2
・グリエール:ロマンス作品3
・ゴセック:ガヴォットニ長調
・リース:組曲第3番作品34~常動曲

そして、本来冷徹なアントン・ヴェーベルンの官能。こんなに艶っぽく濃密なヴェーベルンは初めてかも。極小世界にも喜怒哀楽がひしめくのだと感動した。極めつけはベラ・バルトーク。緻密な計算の中にありながら、やっぱりすべての感情が見事に刻み込まれる様子に言葉がなかった。
テンポは伸縮し、音の強弱もまた揺れ、それがまた自然体で運ばれるゆえ、聴く者はヴァイオリニストの術中についはまっていることに気づく。もちろん一切の意図はないのだろうけれど。
ちなみに、アンコールの(有名な)「ガヴォット」などは、吃驚する凄さだった。遊びの精神に満ちながら芸術性を失わない、ギリギリの表現。音楽にのめり込んでいながら佐藤久成は常に冷静だったように思う。どんなときも客席の反応を余裕で確認しながら演奏しているように見えたから。

宇野功芳さんをして「もっと早く君に出会っていればよかった」と言わしめた佐藤久成のヴァイオリンを初めて聴いて、なるほどと納得した。確かにその才能は抜きん出ているように思う。

 

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6 COMMENTS

雅之

やはりよかったですか!

佐藤久成は、私も少し前に生で実演を聴いたことがあります。確かに超個性的で素晴らしい才能の持ち主ですよね。将来に渡り本当に楽しみです。

「宇野功芳さん激賞絶賛」というイデオロギーから脱出できたのは、長い目で見た場合、むしろ彼にとってはとてもラッキーだったと思います。

返信する
雅之

あ、一番言いたかったのは、幸運にも宇野さんの目に留まり売り出すことに成功し、絶妙なタイミングで宇野さんの気まぐれな持論(イデオロギー)から抜け出すことができたのも、やはり同様にラッキーだってことです。

あれほど宇野さんに持ち上げられた上岡敏之が、昨年末の「第九」

http://classic.opus-3.net/blog/?p=19895

では実演を聴きに行かれた同じ宇野さんに酷評され、

http://ci.nii.ac.jp/naid/40020768901

「天才」という言葉まで留保されてしまいましたから、明らか聴力と判断力が落ちたご老体に振り回されなくてよかったねと、未来ある青年に伝えたかっただけです。

それに、佐藤さんの才能を見出した時期を含む、晩年の宇野さんの評論を全くあてにしておられなかったのは、他ならぬ岡本様ご自身ですしね(笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

やっぱりそっちの視点でしたか!
最後の段落の意味合いを量りかねたので・・・。

昨年の上岡の第9の批評は読んでいないのですが、「天才」という言葉まで留保だったのですか?!
ちょっと吃驚です。
出来不出来というのも含めて天才は天才なんだと思いますが、
指揮者というのは自分が演奏するわけではないので、難しいですね。
昔のハインツ・レーグナーを思い出します。

返信する
雅之

※ 以下は、恒例の、いよいよ怪しげなコメントです。

>指揮者というのは自分が演奏するわけではないので、難しいですね。

いや、ヴァイオリニストだって指揮者同様、「天才」と「馬鹿」は紙一重かもしれませんよ!

>作品によってこれほどまでに音色が変わるヴァイオリニストは聴いたことがないかも。

私が聴いた感想としては、佐藤さんは、ことによると「インドの山奥で修業を重ね、七つの化身に変身できる超能力を得た青年」かも。

https://www.amazon.co.jp/%E6%84%9B%E3%81%AE%E6%88%A6%E5%A3%AB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3VOL-1-DVD-%E6%B0%B4%E8%B0%B7%E9%82%A6%E4%B9%85/dp/B016UKEETG/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1478401545&sr=1-1&keywords=%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3+dvd+box

「これでいいいのだ!!」

返信する
岡本 浩和

>雅之様

なるほど!レインボーマンと来ましたか!(笑)
DVDになっていたのですね!
レビューにもありますが、当時僕も小学2年生でしたからストーリーの詳細まではまったく記憶にありません。
いま改めて観るとすごい発見があるかもしれません。
嗚呼、買って観たい・・・。いや、でも・・・、と悩んでいるところです。(笑)

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