クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「パルジファル」(1954Live)を聴いて思ふ

knappertsbusch_collection_parsifal_recordingsリヒャルト・ワーグナー最後の大作は、実に幸福の作品であると僕は思う。どの幕のどのシーンをどのように切り取って聴いてみても崇高な癒しに溢れ、間違いなく音楽に惹き込まれてしまう。まったく想像だけれど、死期を悟った作曲家の邪心が消えたことによる信じられないような透明感と清らかさを獲得した傑作なのである。
しかしながら、舞台神聖祝典劇と称されるこの作品をして、イーゴリ・ストラヴィンスキーに「その企てすべてにおいて私を憤慨させるのは、それを命じた幼稚な精神、芸術的な演し物を宗教的な儀式が構成する神聖で象徴的な行為と同じ次元に位置づける原理自体である」と言わしめるのだから、賛否両論、捉え方は様々。
人間の創り出したものにやっぱり「絶対」はないのである。

聖愚者パルジファルの物語は、繰り返し聴くたびに僕の中で深化する。

クンドリの声 
(かたわらの花の植え込みから)
パルジファル!―そのままで!
(乙女たちは驚いて、すぐに動きをやめる―度肝を抜かれたパルジファルは呆然と立ちつくす)
パルジファル パルジファル・・・?
いつか母さんが夢のなかでそう呼んでいたっけ。
日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P65

例えば、第2幕において、クンドリがはじめてパルジファルの名前を呼ぶときの不思議な色香と、それに応えるパルジファルの記憶を呼び覚まされた驚きに、いよいよパルジファルが聖なる者であり、これこそがおそらく悟りの一端を得た瞬間であることを思う。

1954年のバイロイト音楽祭ライブ。ハンス・クナッパーツブッシュが復帰してのこの実況録音の、モノラルながら実存感のある響きに一際感銘を受ける。
何よりマルタ・メードルのクンドリ、そしてヴォルフガング・ヴィントガッセンのパルジファルがやりとりする先のシーンの素晴らしさ。続くクンドリの長いモノローグの恐るべき深遠さに言葉を失うほど。

私の故郷は、はるか―はるか―遠い国。
あなたに見つけてもらおうと、ここで待ち受けていただけ。
遠い国から来た私は、そこでいろんなことを見たわ。
母の胸に抱かれた乳飲み子もね。この子がはじめて口にした
舌足らずの片言は、いまもこの耳に心地よく響いている。
~同上書P67

過去世で(いずれかの星で)クンドリとパルジファルの二人は出会っていたということか。
そして、クンドリの長いキスを受けての、いよいよ力漲るパルジファルの覚醒!!

アムフォルタス!―
あの傷、あの傷だ!
あの傷が、この胸のなかで燃えている。
ああ、嘆きだ、嘆きだ!
恐ろしいばかりの嘆きの声だ!
胸の奥底から、あの叫びが聞こえてくる。
ああ、ああ
いたわしや
苦悩の権化!
~同上書P71

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」
ハンス・ホッター(アムフォルタス、バリトン)
テオ・アダム(ティトレル、バス)
ヨーゼフ・グラインドル(グルネマンツ、バス)
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(パルジファル、テノール)
グスタフ・ナイトリンガー(クリングゾル、バス)
マルタ・メードル(クンドリ、ソプラノ)
ジーン・トビン(第1の聖杯騎士、テノール)
テオ・アダム(第2の聖杯騎士、バス)
ヘティ・プリュマッハー(第1の小姓、ソプラノ)
ギゼラ・リツ(第2の小姓、ソプラノ)
ゲルハルト・シュトルツェ(第3の小姓、テノール)
ヒューゴ・クラッツ(第4の小姓、テノール)、ほか
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団(1954Live)

滔々と流れる水の如く音楽は自在であり、また深淵の如く静か。
それでいて爆発的なエネルギーを秘めるのだからこれはもうクナッパーツブッシュの魔力の妙。歌手陣が彼の復帰を心から祝福するかのように熱唱し、はち切れんばかりのパワーに満ちる。1954年のバイロイトの「パルジファル」は空前絶後の素晴らしさ。

結局54年の音楽祭では「パルジファル」の指揮台に立つことになった。
ただしヴィーラントのほうも、それなりの代償を迫られた。「パルジファル」の最後のシーンを、丸天井から白い鳩が舞い降りてきてパルジファルの頭上で羽ばたくというト書きどおりに演出するようクナッパーツブッシュは要求したのである。要求を無下に斥けるわけにはいかず、かといって具体性を極力排除した演出の最後の最後に「白い鳩」が現れるのでは舞台のコンセプトそのものがだいなしになりかねない。そこでヴィーラントは一計を案じた。
すのこから白い鳩がするすると降ろされた。ただそれは、ピットのなかの指揮台からは見えても、客席からは見えない高さまでしか降ろされなかったのである。
奥波一秀著「クナッパーツブッシュ―音楽と政治」(みすず書房)P193

確執あり、各々に思惑あり、そんな駆け引きの中で最終的にクナッパーツブッシュが「パルジファル」の指揮棒を執ることになって良かったのだと僕は思う。

 

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3 COMMENTS

雅之

この作品の有名な言葉「救済者に救済を」こそが、まさに宗教のパラドックスそのものようで、秀逸ですね。

「自分だけは世界の真理を知っている」と言い切る教祖や指導者や信徒こそが、じつは最も救われない人達だという「真理」を指し示しているようにも思います。

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雅之

いつも誤字・脱字に後から気付いても手遅れでコメント欄は直せないのでそのままにしているけれど、たまには訂正しておきましょう。すみません。

 まさに宗教のパラドックスそのものようで、秀逸ですね。

〇 まさに宗教のパラドックスそのもののようで、秀逸ですね。

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