グルダのモーツァルト ピアノ・ソナタK.310, K.330&K.331(1982.11録音)を聴いて思ふ

the_complete_gulda_mozart_tapes700フリードリヒ・グルダもまた、ときに突拍子もないことをしてのける人だった。頭への血の巡りを考えると、神が人を頭を下にするよう創ってくれなかったのは残念なことだ、と師であるブルーノ・ザイドルホーファーが嘆くのを聞いて以来、グルダはインスピレーションの枯渇を感じると、いわゆる「三点倒立」という、頭を地面につけての逆立ちするようになった。グルダは怖いもの知らずだった。彼についてのドキュメンタリー映画では、演奏会で自作品を妻とともに素っ裸で弾く姿を見ることさえもできる。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P68

よほどエキセントリックな癖を持った人なのだということが窺える。マルタ・アルゲリッチがぞっこんになったのもわかるというもの。しかし、同じ変人(奇才)でもグルダのそれはグレン・グールドのそれとは明らかに異なる。
例えば、モーツァルトのソナタ。グールドはモーツァルトのスタイルを徹底的に破壊するが、グルダは自由奔放でありながらジャズ的手法を活かし、モーツァルトの方法をより一層活性する。何よりモーツァルトに対する慈愛がある。

フリードリヒ・グルダの弾くモーツァルトを聴く。

ザ・コンプリート・グルダ・モーツァルト・テープズ
・ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
・ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付」
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)(1982.11録音)

イ短調ソナタは、音が割れ気味でかつ歪があり、多少聴きにくさがあるものの、音楽の内側にある暗い情熱の投影は見事。それは、おそらく若きマルタ・アルゲリッチが夢中になったグルダの類い稀なる音楽性のなせる技。

ウィーンで、マルタは自分がとても幸福だと感じた。グルダはエネルギーと刺激と活力を与えてくれた。それはマルタにランボーのこの詩句を連想させるものだったのだろうか。

わたしがおこなった魔法の修業
この幸せから、いかなる者も逃れられぬ。
~同上書P61

そして、一層素晴らしいのはハ長調ソナタK.330。第1楽章アレグロ・モデラートの無垢な快活さ。また、第2楽章アンダンテ・カンタービレの静かなエネルギー。そして、続く第3楽章アレグレットの、思案に暮れる物憂げな表情こそモーツァルトの密やかな悲しみ。
グルダの感情移入は実に堂に入る。
さらに、イ長調ソナタK.331は、第1楽章変奏曲から音の一粒一粒を淡々と丁寧に紡ぎ(即興的な装飾を付け)、モーツァルトの可憐な美しさを見事に歌う。何という優しさ(しかし、ここでもその内面は実に悲しい)。第2楽章メヌエットに聴く確固とした軸(録音は相変わらず歪があるけれど)。そうして、いかにも余裕で弾きこなす軽快に歌う第3楽章「トルコ行進曲」は、グルダの天性の即興的表現を得ての飛翔。実に愉快だ。

 

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2 COMMENTS

雅之

ピアニストという人種は、ピアノという法的制約があるからこそ、その枠をはみ出て自由になりたいんでしょうね。

グルダは、楷書、行書、草書、どれも素晴らく説得力のある演奏ができるピアニストでしたね。

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岡本 浩和

>雅之様

>楷書、行書、草書、どれも素晴らく説得力のある演奏ができるピアニスト

同感です。
ジャズ・ピアニストにも多大な影響を与えているところが素敵です。
それにしても彼のモーツァルトは思った以上に正統で、素晴らしいと思います。

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