バーンスタイン指揮コンセルトヘボウ管のシューベルト交響曲第9番(1987.10Live)を聴いて思ふ

schubert_9_bernstein_aco714血がたぎるとでも表現しようか。これほど感情を揺さぶるハ長調交響曲は滅多にお目にかからない。冗漫な印象が拭い切れない第2楽章以後があっという間に過ぎるのだから、最晩年のバーンスタインが成し遂げた名演奏群の中でも指折りのひとつであると断言する。

彼が得意としたマーラーの交響曲演奏に肉薄する、否、それ以上に人間的でありながら永遠を刻印するフランツ・シューベルト。音楽は終始うねり、その上旋律は常に光輝を放ち、聴く者を魅了する。それこそシューベルトが生涯憧れたモーツァルトの音楽に匹敵する構成美。

こうして、この世の闇の中に、明るく澄みきった美しい「彼方」が開かれる。ぼくたちはそこに希望を託すのだ。おお、モーツァルト、不滅のモーツァルト、このように明るく、よりよい生命の恵みの刻印を、どんなに沢山、限りなく沢山、われわれの心に与えてくれたことだろう。・・・
(1816年6月13日付、シューベルトの日記)
前田昭雄著「カラー版作曲家の生涯 シューベルト」(新潮文庫)P42

19歳のシューベルトのモーツァルトへの愛は、現代においてはそっくりそのまま僕たちのシューベルトへの愛に置換えることができるだろう。
第1楽章アンダンテ―アレグロ・マ・ノン・トロッポがことのほか素晴らしい。
序奏冒頭のホルンの夢見るような調べから別世界。あるいは、主部に入る直前の音楽の自然な勢いはそれだけで興奮の極み。もちろん主部も常に動き、時に奔放に爆発するものの、それでいて透明な明朗さを維持するのだから堪らない。そうして、加速されるコーダの恍惚。

・シューベルト:交響曲第9番ハ長調D.944
レナード・バーンスタイン指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1987.10Live)

第2楽章アンダンテ・コン・モートでは、ともすると浅くなりがちな歌謡的音調がバーンスタインの華麗な棒によって極めて流麗に、しかも重みをもって音化される。何という生命力!
そして、第3楽章スケルツォ(アレグロ・ヴィヴァーチェ)の円やかかつ有機的な響きに、当時のコンセルトヘボウ管弦楽団の技術の素晴らしさをあらためて思う。特に、トリオの愉悦の内側に潜む憂愁(何と厭世的)の表現は奇蹟的!!

3月27日。他人の苦しみを理解し、他人の喜びを理解するものなど誰もいない。人は互に求め合うと信じながら、実は互にすれちがっているのだ。おお、このことを思い知ったものには、悩みがある。ぼくが生み出す作品は、音楽への能力と、僕の苦しみとから生まれてくる。それも苦しみから生れた作品の方は、一向に世の中を喜ばせないようだ。
(1824年3月27日付、メモ)
~同上書P114

さらに、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ冒頭の金管の咆哮に、抑圧(悩み)の解放を思い、続いてなだれるように前進する楽想に苦しみの浄化を思う。何と喜ばしいハ長調交響曲!!

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


4 COMMENTS

畑山千恵子

 私は、カール・ベーム、ヴィーン・フィルハーモニーとの名演を聴いています。これは今でも忘れられません。気迫のこもった演奏で、40年以上たった今でも鮮明に覚えています。

返信する
雅之

何と喜ばしいハ長調交響曲!!

では、改めて皆さんで、ご一緒に歌いましょう! 乾杯!!(笑)

紺碧の空仰ぐ日輪
光輝あまねき伝統の下
すぐりし精鋭闘志はもえて
理想の王座を占むる者我等
ベーム VPO 覇者 ベーム VPO

青春の時 望む栄光
威力敵無き精華の誇り
見よこの陣頭歓喜あふれて
理想の王座を占むる者我等
レニー ACO 覇者 レニー ACO

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む