いわゆるピリオド解釈の嚆矢となる若きニコラウス・アーノンクールとその仲間たちによる録音が美しい。例えば、バッハが最初のクラヴィーア練習曲集、すなわちパルティータを作曲した頃に亡くなったフランスの作曲家マラン・マレ。太陽王ルイ14世に寵愛された彼の音楽はそこはかとない哀感に溢れる。
何より聴く者の胸を締めつけるのは、シュタストニーのフルートであり、アーノンクールのヴィオラ・ダ・ガンバ、あるいはヴィオール。
ヴィオールを「人間のように語り歌う楽器」と称し、マレを絶賛する鈴木昭裕氏のガイドが素晴らしい。
師は孤独を愛し、亡き妻の幻影と語らう男だった。弟子はボーイ・ソプラノの声を失い、ヴィオールのひびきに魅せられた男だった。やがてルイ14世に認められ、世俗の成功に手を伸ばした弟子を、師は放逐した。歳月は流れ、一層の孤境にある老いた師と、リュリに学び、名声を得た弟子は和解する。見つめあい、涙を流しながら、ヴィオールを和する二人。師の名はサント・コロンブといい、弟子の名はマラン・マレといった。
~「古楽CD100ガイド―グレゴリオ聖歌からバロックまで」(国書刊行会)P65
出逢いと別れと、また再会と。「和解」という言葉に魂が震える。
マレの音楽にある、聴く者の心を癒す聖なる音調と、思わず口ずさんでしまうわかりやすい旋律の錯綜はそんな事情があったからだと知る。何事にも凝り固まらないことだ。
マレ:
・聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モンの教会の鐘の音
・三重奏の曲集~組曲第1番ハ長調
・ヴィオール曲集第3巻~組曲第4番ニ長調
ニコラウス・アーノンクール(ヴィオラ・ダ・ガンバ、高音ヴィオール)
アリス・アーノンクール(ヴァイオリン)
ヘルベルト・タヘツィ(チェンバロ)
レオポルド・シュタストニー(フルート)(1973録音)
指揮者としてのアーノンクールの才能は大したものだが、ガンバ奏者としての彼の力量は言語を絶するもの。古の音楽が、たった今目の前で奏されるような錯覚と、マラン・マレのまるで肉声を聴くような潤い豊かで生き生きとした音楽に落涙。
ところで、ルイ14世には次の言葉がある。
私は人々を楽しませようとした。人々は自分たちが好むものを王が好んでいるのを見ると、感動するものだ。これが時には褒美を与えるよりも人々の心をつかむ。
果たして太陽王は人々の心をつかむために意図的にマレの音楽をも重用したのだろうか?
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>師は孤独を愛し
ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオール、ヴィオラ・・・、皆、孤独で寂しがり屋さんな楽器たちです。私が言うんだから間違いありません?(笑)
>雅之様
雅之さんがおっしゃるのなら間違いないですね!
ちなみに、孤独で寂しがり屋は僕もです。(笑)