ブラームス:間奏曲作品118-2

brahms_lupu.jpg今宵、朗読というものを初めて味わった。
『アルケミスト×野田武志』朗読ライブ・・・。
「眼を閉じて後頭部で感じるように聴いてください」というお達しどおり浸ってみた。なるほど、イメージが沸々と湧いてくるのだから面白い。自分自身のフィーリングや思考を筆や楽器、あるいは声に託して表現できる芸術家というのは大変な存在なんだとあらためて思う。ましてや歴史に名を残すような大アーティストならなおさらだ。天才という言葉以外に彼らを直接に表現する言葉はない。

ブラームスは晩年に作曲したピアノ小品を「自分の苦悩の子守歌」と呼んだ。1892年から93年にかけて書かれた全部で20曲になる音楽は、さしずめ「最晩年の孤独感」がその発露のように思うが、何より生に対する感謝の念と愛する人たちへの深い想いが詰まっており、何度聴いても心が洗われ、常に新鮮な気持ちで接することができるところが素晴らしい。
僕はこれまでブラームスの作品116から作品119に至る音楽を様々なピアニストの演奏で聴いてきた。中でもグールドの弾いたいくつか、ポゴレリッチのいくつか、そしてアファナシエフの演奏した全曲はそれぞれが究極の演奏だと思われるもので、その日その時の気分で聴き分けることにしている。

ブラームス:ピアノ小品集
ラドゥ・ルプー(ピアノ)

ブラームスの最晩年の枯淡と諦念の境地に至った心情をたったひとつのピアノで表現するのは相当に難しいらしい。歳を重ね、喜怒哀楽様々を経験した後にやっと自分自身で納得のできるパフォーマンスが生み出せるような代物らしいのだ。確かに・・・。若い頃から「天才」の名を欲しいままにし、数々の名作を創出してきた作曲家が、創作力の衰えを察し、遺書まで認め、もうこれ以上大作を書くまいと筆を折った後に、60歳にして再びインスピレーションが舞い降り、まるで日記を書くように書き溜めた作品たちなのだから・・・。

ちなみに、僕の大好きな間奏曲作品118-2だけを聴き比べてみても、(テンポだけでも)相当の解釈の違いが見られる。嗚呼、何て美しい音楽なのだろう。順番に聴いてみたがそのどれもが身に染みる。
1.ヴィルヘルム・バックハウス盤(1956.10録音)(4:51)
2.グレン・グールド盤(1960.11録音)(5:46)
3.ペーター・レーゼル盤(1973録音)(5:39)
4.ラドゥ・ルプー盤(1976.7録音)(5:55)
5.ヴァレリー・アファナシエフ盤(1992.3録音)(7:53)
6.イーヴォ・ポゴレリッチ盤(1992.6録音)(8:49)
そして・・・、
7.愛知とし子盤(2009.5録音)(4:59)

僕が初めてこの曲に触れたのはバックハウス盤。何十年を経た今聴いてもやっぱり名演奏だと思う。とはいえ、意外にテンポが速かったんだというのは驚きだ(僕が所有している演奏の中では最も速い)。そして、例の鼻歌混じりのグールドの演奏はまるで「瞑想」のよう。また、ルプーのものはオーソドックスな中に一条の光を見出せる演奏だし、アファナシエフの今にも止まりそうな相変わらずの音楽創りは、深淵を覗き観るような深い祈りである。さらに、最もテンポの遅い若きポゴレリッチの演奏!!これは枯淡の境地じゃあない。若き青年が恋人に内緒で愛を囁く「エロス」の音楽と化している。

ところで、愛知とし子の演奏はバックハウスに次いで速い。どうやら彼女の頭の中ではアファナシエフやポゴレリッチ並みの演奏をイメージしているらしいのだが、どうしてもテンポが勢いづいてしまうのだと。ただし、決して焦ってから回りするような演奏ではない。それほど性急な演奏に感じないのだ。僕は良い演奏だと思う。いずれにせよ、数年後彼女がより一層成長した暁にはより納得した形で再録音してもらうことにしよう(その時は作品118を全曲)。

6月20日(土)に所沢市民文化センターMUSEにて久しぶりにクリスティアン・ツィマーマンを聴く予定だが、作品119が披露される。もう今から楽しみでならない。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ルプーは最近、どうしているのでしょうね? CDのリリースは、すっかり少なくなりましたね。徹底した菜食主義者だと聞いたことがありますが、何となく彼の音楽性にもそれが表れていたように思います。実演に接したこともありましたが、とにかく美音でした。ご紹介のCDは昔、吉田秀和氏が褒めていたので買い、一時愛聴していました。
作品116~作品119については最近、ゴラリという未知の女性ピアニストのCDをジャケ買いしましたが、まだ未聴です。ちょっと楽しみです。
http://www.towerrecords.co.jp/sitemap/CSfCardMain.jsp?GOODS_NO=1915047&GOODS_SORT_CD=102
クリスティアン・ツィマーマンの今回の来日は、岐阜や浜松の公演があったのに知らず、聴くチャンスを失ってしまいました。
http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=22963
聴ける岡本さんが羨ましいです。
そして、何といっても愛知とし子さんのCDは楽しみです。
ところで、本日私が申し上げたいことは、そのような上記の内容ではありません。
私が今一番楽しみにしておりますのは、岡本浩和氏による作品118-2の演奏です。自分で楽器に触れてみたり弾いてみたりして、演奏を内側から考えるという行為は、もの凄く大切です。たとえ下手でも、他人任せではなく偉大な作曲家と自ら対話する主体的行動は、絶対に掛替えのない体験になります。
今年元旦の目標を忘れないでください!!!!!

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
そうですね、ルプーはどうしてるんでしょう?海外ではちょくちょく公演活動はやってるみたいですが、それもそれほど大規模じゃなさそうです。来日公演は2001年が最後ですし、CDのリリースもいつから途絶えてるんでしょうね。
アンナ・ゴラリというピアニストは初耳です。聴後の感想を是非!
そうそう、ツィマーマンは今回岐阜や浜松でもやるんですよね。
そうですか、逃されましたか・・・。あっという間に完売してしまいますからねツィマーマンのリサイタルは。岐阜辺りだと簡単には埋まらないようにも思うのですが・・・。それだけクラシックを聴く人口が地方にも増えてきているということなんでしょうかね?
>私が今一番楽しみにしておりますのは、岡本浩和氏による作品118-2の演奏です。
そう来ると思いました(苦笑)!!!
作品118-2を採り上げるかどうか悩んだくらいです(笑)。
いやはや本当にブラームスの音楽はハードル高いです。
>演奏を内側から考えるという行為は、もの凄く大切です。たとえ下手でも、他人任せではなく偉大な作曲家と自ら対話する主体的行動は、絶対に掛替えのない体験になります。
おっしゃるとおりです。常々雅之さんの音楽に対する取り組み方が理想的だと思っておりますので、返す言葉がございません。
>今年元旦の目標を忘れないでください!!!!!
さすがよく覚えておられる!!(すっかり僕は忘れてましたが・・・笑・・・ウソです)
がんばります。

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ヒロコ ナカタ

ルプーの消息に関する話題がでていたので嬉しくなって書いています。ルプーが来日したら必ず必ず聴きに行こうと思っているのですが、音沙汰無しなのですね。私もブラームスの118-2の間奏曲を愛好しています。昔ワイセンベルクが来日した時、アンコールに弾いたのを聴いて自分でも楽譜を買って練習したりしていました。ルプーの演奏を聴いてうっとりし、グールドをきいて「すごい!」と思い、ポゴレリッチで「なんかちがうぞ。」と思ったのはやはり、ブラームスの諦観とか枯淡の境地とは一線を画していたからなのですね。それにしてもグールドはベートーヴェンを弾く時は突き放した感があるのに、ブラームスだとなぜこうも寄り添った感じなのでしょうか。似た者同士なのでしょうか?

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岡本 浩和

>ヒロコ ナカタ 様
ルプーは2010年に久しぶりに来日が告知され、チケットも押さえ、楽しみにしていたのですが、結局それは流れ、2012年にリベンジをはかるも、僕は結局日程が合わず、聴けなかった悔しい思いがあります(ただし、この時も炎症を起こして中止かどうかという騒ぎになっていましたが、果たして公演をしたのかどうなのか、記憶が定かでありません)。

ちなみに、作品118-2は、今の僕は実はポゴレリッチの若い頃の録音がイチオシなのです(苦笑)。
8年前の最低の頃(?)のリサイタルでも急遽披露してくれましたが、あれはもういろんな意味で別世界の音楽でした(音楽になっていないほど遅いテンポ!)。
ただし、グールド盤は今もってもちろん愛聴盤です。

グールドはモーツァルト然り、古典派は性に合わないのかもしれませんね。
おっしゃるように、ブラームスのあのいじいじした内省的な音楽が自分の鏡のように映るのだろうと僕も思います。

返信する
ヒロコ ナカタ

岡本 浩和 様
 「自分の鏡」・・・納得です。ブラームスへの尋常じゃないシンパシーを感じます。ありがとうございました。

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