アルゲリッチのショパン 変ロ短調ソナタほか(1974.7録音)を聴いて思ふ

chopin_2_argerich754周囲に流されてはいけません。
また、他人の我に巻き込まれてはいけません。
むくむくと頭をもたげる我を冷静に見つめることのできる目が必要です。
どんなときも静かであらねばならないのです。

1839年、全盛期のショパンの果てしない創造力。何より「ソナタ」の短いフィナーレは類い稀なる霊感の賜物。「左手が右手とユニゾンでおしゃべりをする」という作曲者自身の表現が美しい。

ここでいま変ロ短調の「ソナタ」を書いているが、これは君がすでに知っている行進曲がはいるはずだ。アレグロが一つ、変ホ短調のスケルツォ、行進曲、短いフィナーレ―僕の原稿用紙で三ページぐらいだ。行進曲のあと左手が右手とユニゾンでおしゃべりをする。ト長調の新しい「ノクターン」ができた。ト短調のものと対になるものです。覚えていますか。
おお、それから新しい「マズルカ」四曲がある。一曲はハ短調(ホ短調の間違い)でパルマで書いたが、三曲は当地で書いた。ロ長調、変イと嬰ハ短調です。これらはぼくにはかわいいのだ。年とった親には一番幼い子供がかわいいみたいなものだ。
(1839年8月8日付、ノアンのショパンよりパリのジュリアン・フォンターナ宛)
アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P252-253

当然ながら、ショパンが自作に対して痛切な愛情を持っていることに大いに感動する。僕たちが天才の生み出した傑作に対峙する時の幸福感は、そもそも作曲家の作品への熱い思いがあるがゆえということ。

若き日のマルタ・アルゲリッチが弾くショパンの変ロ短調ソナタを久しぶりに聴いて、清らかかつ透明で、その常識的な(?)響きに驚いた。僕の中ではもっと激しく、そして小悪魔的な仕掛けがあるような印象がずっとあったものだから。
何より音のコントロールの巧みさ、音色の移り変わりの絶妙さは筆舌に尽くし難い。例えば、第3楽章「葬送行進曲」が、不気味さが消え、清澄なトリオの調べとあわせ、昇天する天国への煌めく階段を駆け上る、自らのための音楽ように聴こえるのだから不思議。そして、嵐のように過ぎ去る短い終楽章こそクライマックスであり、もはや音楽ともため息とも表現し難いその音にずっと浸っていたいと思うくらい。わずかな静寂の中から立ち上がる音。一気呵成に旋律がたなびくうち、最後の一瞬光輝を放つ時のカタルシス。堪らない。

ショパン:
・ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調作品35「葬送」
・アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22
・スケルツォ第2番変ロ短調作品31
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1974.7.8-11録音)

それ以上に快哉を叫びたいのは「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」。有名だが、決してショパンのマスターピースとは言えない作品をこれほどまでにニュアンス豊かに、しかも劇的な動きをもってその字の如く「華麗に」表現できるのだからアルゲリッチは唯一無二。こんな演奏は聴いたことがない。

たとえばしばしば共演し、生活をともにしようと、シャルル・デュトワにはマルタ・アルゲリッチの才能がなんなのか、きちんと説明できたためしがなかった。「謎だよ」彼はフィラデルフィアでまるでハープのように響いたベートーヴェンの協奏曲第1番のカデンツァを思い出して目を潤ませる。ハープのように聞こえた音があまりに真に迫っていたので、夢ではないかと振り向いて確かめたほどだ。「彼女は僕らとは作りが違って、音楽の本能によって最高に美しいものを切り取るのに、大変な苦労を自分に課している」シャルリーは死ぬまえにもう一度、彼女がショパンの夜想曲変ニ長調作品27-2を弾いてくれるのを聴きたいと願っている。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P191

これ以上は止そう。かつて夫婦であったデュトワでさえ天才を説明できないのだから、彼女の演奏について言葉を並べること自体ナンセンス。強いて言うなら、その秘密は無垢、あるいは無邪気さ。それゆえ言葉にできないのである。

 

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2 COMMENTS

雅之

毎回、詰まるところ「天才」なのですね(笑)。試しに、たまにはこの言葉を封印されてみたら?・・・無理ですか。

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岡本 浩和

>雅之様

自分が好きなアーティストの演奏を採り上げるわけですから、ついそうなってしまいますね。(笑)
とはいえ、雅之さんからご指摘を受ける度に、身が引き締まる思いです。

ロダンの言葉にこういうものがあります。

「天才?そんなものは存在しない。絶え間なく計画を立て、ひたすら勉強し、方法を探り続けることでその域に達するのだ。」

天才などと安易に使っちゃだめですね。封印してみます。(笑)
ありがとうございます。

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