アバド指揮ウィーン・フィルのベルク「3つの管弦楽曲」(1992.4録音)ほかを聴いて思ふ

歴史から学ばねばならぬ。
脈々と受け継がれてきた生命の源泉をもっと自覚せねば。

第一次大戦の悲惨。1914年10月2日の、弟子であるテオドール・アダムの戦死を受け、11月8日、アルバン・ベルクは妻ヘレーネに宛て次のように手紙を書いた。

時々僕は、この世界の外で生きているような気がする。この途方もない雑踏の中での姑息な利害!このすべてを理解するには、僕の頭はまさに小さ過ぎる。人は「青島陥落」の記事を読む―だがその5分後には、もう日常の生活に戻っている―山に逃げたり、海の沖の方まで泳いでいって、泣き叫んだりはしない、その方がよほど真っ当だろうに。(・・・)結局はこの戦争も、学校で習ったほかの戦争と、たいして変わりはないんだ。ああ、人間精神の無力さ!
田代櫂著「アルバン・ベルク―地獄のアリア」(春秋社)P128

現実と夢との酷い乖離にベルクは消沈する。いくら意識を世界の外においても人間は現実世界に生きねばならない。しかし、決して精神そのものは無力ではない(と僕は思う)。
意志というものが世界を作るゆえ。だからこそ、彼の残した数少ない作品はどれも力強く、聴く者の心を癒す。
従軍を志願したベルクも、少なくとも作曲中は現実の蚊帳の外にあったはず。彼の創造活動への没頭は、暗澹たる外面を持ちながら妖艶で柔和、そして心地良い内面を持つ傑作を生み出した。無調という世界にありながら、何という色彩感!本来ならもっと耳触りが良くないはずなのに、アルバン・ベルクの音楽は不思議に魂をとらえ、心の片隅に残り続ける。

ベルクが独自の境地に足を踏み入れた傑作「3つの管弦楽曲」はちょうどこの頃創造されたものだ。

ベルク:
・3つの管弦楽曲作品6(1915)(1992.4録音)
・「抒情組曲」から3つの楽章(弦楽合奏版)(1928)(1994.11録音)
クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
・ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出に」(1935)(1992.6録音)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ジェイムズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団

もはやこの時点で一定の完成を見せるアルバン・ベルクの才能。
独自の音調は聴く者を翻弄し、現実とはほど遠い夢の中に導く。第1曲「前奏曲」の慟哭。また、第2曲「輪舞」における狂騒は色香る。何という愉悦。そして、第3曲「行進曲」には虚ろな響きが充溢し、楽聖の「運命」の動機のようなファンファーレが炸裂する。そう、ベルクは自身と闘っているのだ。
なるほど、「わが師、わが友、アルノルト・シェーンベルクに、つきぬ感謝と愛をもって」という献辞には素のアルバン・ベルクが投影される。素敵だ。
ちなみに、アバド指揮ウィーン・フィルは透徹されながら温かみのある音を奏でる。冷淡で頭脳的なベルクと、情感豊かで熱いベルクの同居。
その上、弦楽合奏版「抒情組曲」抜粋にあるソフィスティケートされた響きはあまりに美しい。

 

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2 COMMENTS

雅之

>歴史から学ばねばならぬ。

自分の「黒歴史」からも!!(念のため誤解無きように、私のことです・・・笑)

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