パイヤール指揮パイヤール室内管のパッヘルベル「カノン」(1968録音)を聴いて思ふ

般若心経は「観自在菩薩」という文言から始まる。
観自在菩薩とは、その字の通り、自らの内なる慈悲の心を省みよという意味である。
一般的には「観世音菩薩」、すなわち「観音菩薩」のことだと解釈されるようだが、それは実は誰しもの内側に宿る神や仏のことを意味することだと知った時、僕は大変な感銘を受けた。
ちなみに、観音菩薩は慈悲の心により、救いを求める衆生のところに素早く顕れ、救済を施す仏様だといわれる。そういえば名前に「音」が入っている点がとても興味深い。

なるほど、聴覚というのは人間の感覚の中で最初に形成されるものらしい。確かに、音というもの、音の波動そのものが、人体に及ぼす影響というのは計り知れないものがある。対話における音の強弱、音の質は明らかに感情や思考を左右するものであり、コミュニケーションにおいても音そのものの微妙な変化を聴き分けることができたら、人心を読むのはとても容易い。
音楽もまた然り。感動を喚起する演奏か否かは、技術的な良し悪しによるものではなく、波動の高さ、それはその音を発する演奏者の心の状態によるものだろう(と僕は思う)。そう、何より作曲家に無心で奉仕し、音楽に没頭しているかどうか。

ところで、「観音」はCannonであり、いわゆるCanonという社名の由来になったことは有名な話。語源は当然違うだろうが、音楽の用語である「カノン」とも偶然の一致、つながりがあるように思われ、これまた実に興味深い。
「カノン」といえば、ヨハン・パッヘルベル。泣く子も黙る、いや、思わず涙を誘う癒しの音楽の代表格。

・パッヘルベル:カノンニ長調
・マルチェッロ:アダージョ~オーボエ協奏曲ニ短調
・J.S.バッハ:アリア~管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068
ジャン=フランソワ・パイヤール指揮パイヤール室内管弦楽団

昔懐かしいシングルCD。
編曲といい、テンポといい、そして音の波動といい、パイヤールによる1968年の最初の録音こそが「パッヘルベルのカノン」の中で随一のものだと、今でも僕は信じている。これほど人の心をとらえ、安心感を与える音楽、演奏はなかなかない。

互いに受け容れ合うことが大切だ。
何事においてもぶつからないよう努力するが良いとやっぱり僕は思う。

 

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2 COMMENTS

雅之

「観音」は長岡鉄男に言わせればオーディオ・ビジュアルでしたね。

私も、聴くだけでなく、観るを無視できません。

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岡本 浩和

>雅之様

あ、おっしゃるとおり!
昨晩は疲労の上に、夜遅かったので、すっかりその視点を忘れておりました。
長岡さんの言葉は本当に奥深いですね。

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