King Crimson “A Young Person’s Guide To King Crimson” (1976)を聴いて思ふ

発表の場において鍵になるのは「情動」だ。人の心を揺さぶり、魂を震撼させるだけの内燃するエネルギーこそがすべて。命を賭けねばならぬ。

今日峻厳な魂は、合理主義・非合理主義のいずれかに偏向し、安住すべきではない。またそれらを融合して中途半端なカクテルをつくるべきものでもない。精神の在り方は強烈に吸収し反発する緊張によって両極間に発する火花の熾烈な光景であり、引き裂かれた傷口のように、生々しい酸鼻を極めたものである。
態度はますます科学的であり、前進的でなければならない。これが先鋭化すればするほど必然的にその反対のモメント、非合理的・主体的パトスが生起する。そして矛盾をはらむのである。芸術家はこの矛盾を引きうけて体顕しなければならないのである。
岡本太郎作品・文/岡本敏子編「歓喜」(二玄社)P19

そう語った岡本太郎は、

今日の芸術は、
うまくあってはならない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。
~同上書P1

と言い切った。名言だ。
こと音楽に関しても、整っていて、きれいなだけのものではダメだ。心を鷲づかみにするパルスと魂をとらえて離さない「情動」があって普遍を獲得し、それは永遠になるのである。

最初のキング・クリムゾンを解散させた後にロバート・フリップがまとめた2枚組のコンピレーション・アルバムは、(今となっては必要性を感じないという否定的な見解があるが)リリースから40年を経た今も燦然と輝くベスト盤であると僕は断言する。ここには、決して色褪せない、60年代から70年代にかけてクリムゾンが創造した「矛盾を秘めた美しく崇高な音楽」がある。

74年の突如の解散の理由を、ロバート・フリップは次のように語っている。

挑戦は終わった。解散には3つの理由がある。第一にこの決断は世情の忠実な反映であること。第二に私はかつてこのバンドが先進的な向上心を養う最良のものになり得ると考えていたが、現在ではそのような意味はすでにないと判断していること。そして第三にバンドはもはやエネルギーを失い、今後の私にとって音楽はさしたる価値を持たなくなったこと。第一の点に関してもう少し付け加えるなら、今、世界は大きく変わろうとしている。古い世界から新しい世界へ。
~佐藤斗司夫訳「1974年10月5日付ロバート・フリップによる声明」

それこそクリムゾンが「きれいに、ここちよくなり」過ぎる(崩壊する)ギリギリのゾーンで彼は何とか留まろうと考えたのだろう。その答が解散だったというわけだ。

・King Crimson:A Young Person’s Guide To King Crimson (1976)

“Lizard”を除く、”In the Court of the Crimson King”から”Red”までの全アルバムからの選曲が素晴らしい。何より1枚目が”Epitaph”に始まり、”Starless”で閉じられるという奇蹟。崇高なグレッグ・レイクのヴォーカルが生の喜びを喚起し、重厚ながら伸びのあるジョン・ウェットンのヴォーカルが死の哀しみを髣髴とさせる。
ちなみに、1969年の、ストーンズの有名なハイド・パーク・コンサートの前座に出演したときのことをイアン・マクドナルドは次のように述懐する。

出来は良かったし、いつもより短いセットであったにも拘らず、僕たちはオーディエンスに多大な衝撃を与えた。そのことは、拍手されたことではっきりとわかった。
~King Crimson ”Live in Hyde Park”ライナーノーツ

そこにあったのは創造の歓喜だ。
そして、2枚目は”The Night Watch”から”The Court of the Crimson King”までの9曲。
涙なくして聴けぬのは、”Larks’ Tongues in Aspic Part1 : Coda”から”Moonchild”、”Trio”、” The Court of the Crimson King”に至るクリムゾン波動砲。
中でも、”Trio”の大いなる静けさはほとんど妙なる瞑想の如し。

ところで、キング・クリムゾンのインプロヴィゼーションは、そこに居合わせる誰にも即興演奏だと気づかれなかったのだという。

ウェットンはそれに誇りをもっている。「僕ら自身はちゃんと状況を把握していたけど、他に誰もわかっていないから、まるで奇跡を起こしているように見えたらしい。僕らは、他人にすぐバレるようなサインとかキューが嫌だった。もし誰かが口火を切ったら、他もとことんついていくという約束事があった。それがどこに向かっていようとね。真の共同作業だったし、その気持ちがなければやれなかったよ」
~King Crimson ”Live in Asbury Park, NJ”ライナーノーツ

恐るべし。
一昨年の来日公演は確かに素晴らしかったのだけれど、いま一つ僕が納得できなかったのは、世情が確実に変わった中で、懐メロ的に「これでもか!」と言わんばかりに奏された1960年代から70年代にかけて生み出された名曲群に対する違和感だったのかもしれない。
これらはもはや音盤の中に封印すべきなんだと僕は思う。

ここ数ヶ月のうちにグレッグ・レイクジョン・ウェットンも(いずれも癌で)逝ってしまったことが哀しい。

 

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3 COMMENTS

雅之

今回に限らずですが、私にとって、60年代~70年代のカルチャーを語るのは、真に同世代じゃない違和感が常に付き纏います。

特に、学生運動に奔走した団塊の世代と、いくら背伸びしたって捉え方が本質的に異なるのは、仕方がないことだとも思います。そこがまた面白いんですがね(笑)。

しかし「あさま山荘事件」とか「よど号ハイジャック事件」とか「赤軍派」とか「革マル派」とか、プログレ全盛のころは、日本もテロ国家といってよかったですし、時代に無批判にはなれません・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

後の世代からすると、何だか憧れの時代ではあるのですが、実際その時代に成人で居合わせたら洒落にならなかったかもしれません。
僕は子どもの頃から変なところが素直だったので、83年に大学に入る時、革マルなどには入らないよう本気で父からアドバイスされていたくらいですので。(笑)
よく考えると、臆病なのでそんな風にはならなかったと思うのですが、時代の情勢が違っていたらばあり得たかもしれません。
恐ろしいですわ。

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