当間修一指揮大阪ハインリヒ・シュッツ合唱団の柴田南雄「宇宙について」ほかを聴いて思ふ

人間の声というのは不思議だ。容姿同様個性があり、厳密に全員が異なる。
相違する声が見事にハーモニーを形づくる時、得も言われぬ崇高な感動を与える。
7章から成る柴田南雄の合唱曲「宇宙について」を聴くに及び、現代日本の誇るこの作曲家のすごさはあらゆるものを吸収する好奇心と、それを正しく分析し自らに取り込む理知、そして、そうやってかき集められた情報を美しい音楽としてアウトプットできる才能にあると確信した。
夫人の純子さんがこの作品の成立するきっかけを語られているが、柴田南雄の素直な心が垣間見えるエピソードで真に興味深い。

柴田はすぐに、隠れキリシタンの伝承の祈りである「おらっしゃ」を主な素材にしようと提案して、田中さんもそれに賛成された。・・・最大の問題は「おらっしゃ」をどのような枠組みのもとに使用するか、であった。・・・ある日図書館でキリシタン時代に訳されたロヨラの「すぴりつある修行」を読み、その観相の方法―福音書のすべての場面を「想像の目で見、想像の耳で聴く」方法に非常な感銘を受けた。この方法を借用して、現代社会の形成に大きな影響を及ぼしたキリスト教の歴史を追体験しながら「世界の多様性」を表現する、というアイディアを話すと柴田は乗り気になって、「音楽もいろいろな様式を使うことにしよう」と言った。
「柴田純子『宇宙』の頃」
~25OM1002ライナーノーツ

そもそも東京六大学の混声合唱連盟からの委嘱を受けるにあたり、柴田は何を思い、何を考えたのか?

テキストの題材には、人間が抱えている最も普遍的な問題「人間とは何か」を選び、まず人間とそれをとりまく宇宙との関わりについて、諸民族が何千年もの昔から考え続けていた「天地創造の神話」から代表的な三種をとりあげた。じつは六種くらいとり上げたかったが、演奏時間の関係もあるので三種に限った。
柴田南雄著「日本の音を聴く」(青土社)P285

ところで、第7章のテキストは「華厳経」から採られているが、わずか2分半の男声合唱を聴いていると、柴田が仏の世界を熟知し、そしてまた奥義を得ていたのではないのかと想像させるほどの神々しさと奥ゆかしさが感じられる。見事だ。

一切世界の微塵は、一一の微塵の中より、一切如来の光明網雲をはなちて、一切世界の微塵と等しく、一一の微塵の中より、一切佛の種々の色光を放ちて、一切世界の微塵と等しく、普く法界を照し、一一の微塵の中より、一切の宝雲光明をはなちて、一切世界の微塵と等しく、普く法界を照し、一一の微塵の中より、如来の光焔輪雲を放ちて、普く世界を照し、一一の微塵の中より、一切の香雲を出して、普く世界に薫じ、普賢菩薩の所行、一切の大願、諸々の功徳海を讃嘆し、一一の微塵の中より一切の日月光雲を放ち、普賢菩薩の光明を放ちて、普く法界を照し、・・・
~同上ライナーノーツ

すべては眩しいばかりの光の存在であり、宇宙も人間も光そのものであるということを彼は表現したかったのかもしれない。

柴田南雄・その響きⅡ
・追分節考(尺八:永廣孝山)(1973)(1995.11.12Live)
・宇宙について(1979)(1996.5.5Live)
―第1章 インドの天地創造の神話
―第2章 東アジアの天地創造の神話
―第3章 メソポタミアの天地創造の神話
―第4章 神の探求について(ニコラウス・クザーヌス)
―第5章 山田の「おらっしゃ」
―第6章 諸民族の祈りの歌
―第7章 華厳経(十種の光相)
・冬の歌(1993)(1996.5.5Live)
当間修一指揮大阪ハインリヒ・シュッツ合唱団

柴田の創造におけるこだわりの深さをあらためて知る。
「追分節考」創造の源泉。

すなわち少年時代、1930年の暮のスキー行での車窓からの「浅間山ショック」以来、わたくしにはあの周辺の自然への特別の愛着があり、そこから立原道造の詩との親近関係も生まれたのであり、その土地に伝承されているすばらしい民謡があるのに、それをさし置いて他の地方に目を向けることなど、考えられないことだった。それに、おそらく小泉文夫さんの話から(であったと思うが)、モンゴルのオルティンドー(長歌)が追分節とじつによく似ていて、おそらく両者はルーツを同じくする歌であろうということはすでに当時も知っていた。
~同上書P226

18分ほどの作品に宿る信仰心とでも表現しようか、万物自然への尊崇の念に近い、静かで祈りに溢れる音楽は柴田南雄の作曲家としての真骨頂だろう。思わず惹き込まれる。

 

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2 COMMENTS

雅之

試しに、柴田南雄「追分節考」的方法論を真似てコメントしてみます。

そもそも東京六大学の混声合唱連盟からの委嘱を受けるにあたり、第7章のテキストは「華厳経」から採られていますが、夫人の純子さんがこの作品の成立するきっかけを語られている柴田南雄の素直な心が垣間見えるエピソードで真に興味深いです。18分ほどの作品に宿る信仰心とでも表現しようか、相違する声が見事にハーモニーを形づくる時、得も言われぬ崇高な感動を与えます。ところで、すなわち少年時代、柴田は何を思い、何を考えたのでしょうか?

垣間見えるエピソードでブログ・ランキングに参加し、万物自然への尊崇の念に近い、静かで祈りに溢れる音楽は柴田南雄の作曲家としての真骨頂でしょう。思わず惹き込まれる、下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。そして、そうやってかき集められた情報を美しい音楽としてアウトプットできる才能にあると確信した人間の声というのは不思議です。容姿同様個性があり、厳密に全員が異なります。すべては眩しいばかりの光の存在であり、宇宙も人間も光そのものであるということを彼は表現したかったのかもしれません。

それを正しく分析し自らに取り込む理知、わずか2分半の男声合唱を聴いていると、柴田が仏の世界を熟知し、当間修一指揮大阪ハインリヒ・シュッツ合唱団の柴田南雄「宇宙について」ほかを聴いて思ふ「追分節考」創造の源泉、人間の声というのは不思議です。

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