グールドのバッハ「フーガの技法」(1962.1&2録音)を聴いて思ふ

珍しくオルガンを奏するグレン・グールド。
オルガンの性質上なのかどうなのか、ここでのグールドの演奏は至極オーソドックスで、大人しい印象を僕は受ける。
よりによって傑作「フーガの技法」からの抜粋。

未完に終わった「フーガの技法」BWV1080は、その名の通り、ひとつの主題から導き出される「フーガ」を可能なかぎり展開しつくした、フーガの百科事典のような作品だった。この種の作品は、何かの機会に際して注文される「機会音楽」(ただしこれが当時の「音楽」だった)とは一線を画した、作曲家バッハの探求精神の成果だったのである。
加藤浩子・文/若月伸一・写真「バッハへの旅―その生涯と由縁の街を巡る」(東京書籍)P301

それこそ自身を内省しての音楽は、底なしの奥深さ。
グールドはおそらく大いなる信仰心を携えて一世一代の演奏を行ったことだろう。
何とも敬虔で、筆舌に尽くし難い美しさ。

J.S.バッハ:フーガの技法BWV1080(抜粋)
・コントラプンクトゥス1
・コントラプンクトゥス2
・コントラプンクトゥス3
・コントラプンクトゥス4
・コントラプンクトゥス5
・コントラプンクトゥス6「主題の縮小を含む、フランス風の4声のフーガ」
・コントラプンクトゥス7「主題の拡大および縮小を含む4声のフーガ」
・コントラプンクトゥス8「3声の3重フーガ」
・コントラプンクトゥス9「12度の転回対位法による2重フーガ」
グレン・グールド(オルガン)(1962.1.31&1,2,4,21録音)

グールドは人一倍神への帰依が深かったのかもしれない。ミシェル・シュネデールはかく語る。

グールドは音楽活動の中心が教会から劇場に移り、神との出会いに代わって自己とのコミュニケーションについての思慮に重点が移ったとはなおも認めきれずにいる人間のひとりだった。自分のことをしもべと呼びながらも、絶対君主として姿をあらわす人物の矛盾がそこにある。ピアノ演奏の際にはつつましい被造物にすぎないが、スタジオ空間にあっては造物主となる。対位法の曲を演奏し、磁気テープをもちいて対位法の対位法を織り上げること、それは自己を神になぞらえ、完全に音響を秩序だてて、時間をたわめ、空間をみたすことだ。それはまた自らを無とみなし、自己はなにものでもないと知ることである。
ミシェル・シュネデール著/千葉文夫訳「グレン・グールド孤独のアリア」(ちくま学芸文庫)P213

楽曲が進むにつれ沈潜してゆく様。
最晩年のバッハも、ひょっとすると「自分はなにものでもない」ことを悟り、この楽器を指定しないフーガに至ったのかもしれない。そう、すべてが「なにものでもない」ことを証明せんがために。

今日われわれはバッハ作品が何を内に含み、かれの創造的衝動がいかに多様なものかを理解していると思っている。しかしなお、かれの音楽活動のすべてを判断する第一の手がかりはフーガにあることを認めているのだ。バッハの技法にはつねにフーガに近似するものがある。かれの開発したテクスチュアは、どれも究極のところフーガに向かうように思われる。
ティム・ペイジ編/野水瑞穂訳「グレン・グールド著作集1―バッハからブーレーズへ」P30-31

フーガこそ音楽の奥義。偉大なり。

 

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2 COMMENTS

雅之

徒然なるままに前回までの流れの続きです。

http://classic.opus-3.net/blog/?p=22509#comment-94499

http://classic.opus-3.net/blog/?p=22514#comment-94544

西洋音楽でさえも生活に不可欠な言葉の一種ではないでしょうか。

三島由紀夫の、「改憲にあたっては憲法第9条のみならず、第1章「天皇」の問題(「国民の総意に基く」という条文既定のおかしさと危険性の是正)と、第20条「信教の自由」に関する〈神道の問題〉(日本の国家神道の諸神混淆の性質に対するキリスト教圏西欧人の無理解性の是正)と関連させて考えなければ、日本が独立国としての〈本然の姿を開顕〉できず、逆に〈アメリカの思ふ壺〉に陥り、憲法9条だけ改正して日米安保を双務条約に書き変えるだけでは、韓国その他アジア反共国家と並ぶだけの結果に終る」『問題提起 (二)戦争の放棄』(憲法改正草案研究会配布資料 1970年7月)という問題提起には、今でも大変な重みがあると思っています。

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岡本 浩和

>雅之様

同感です。おっしゃるように三島の言は実に重いですね。
近頃、三島作品をあらためて読み返しておりますが、
もしあの時点での自決がなく、生きていらしたら、三島はその後どんな行動をとって、何を書いたのか興味深いです。

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