マリア・カラスのヴェルディ歌劇「椿姫」(1953.9録音)を聴いて思ふ

母は、私に非凡な音楽鑑賞力があることを気づかせてくれた最初の人でした。自分にその力がある―または、なければならない―ということを、私はいつも意識していました。
ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P22

才能を伸ばすには幼少からの本人の、弛まぬ訓練と厳しさに耐え得る意志が大切だということ。また、一方で、才能を引き出し、伸ばす環境を提供できる家族の力も大いに重要。そういう条件が揃ったときに、天才は生まれる。
子は親の期待に沿わんと努力するものだが、そこには凡人には想像もできないような負荷がかかるようだ。後年、マリア・カラスは次のように告白する。

いまとなっては、私は文句をいえるような立場にはありません。それは当然のことです。でも、あまりにも早いうちから子どもに重荷を負わせるのはどうかと思います。神童はみな本当の意味での幼年時代を奪われています。私の記憶にあるのは特別な玩具―人形やお気に入りのゲーム―ではなく、学年末の舞台で脚光を浴びるために、ときにはくたくたになるまで何度も練習させられた歌なんです。
~同上書P22

しかしながら、そういう母の厳格な特訓や諦めることのない行動があったからこそのマリア・カラスなのである。何という矛盾!何という表裏!何という功罪!後年の名声と引き換えに、天才は「天真爛漫さ」というものを失ったのかもしれない。

姉のイアキンシーが1989年に著した自伝「姉と妹」には次のような記述があるらしい。

学校では幸せだが、家庭ではひどく不幸なアメリカ少女だった。メアリー(=マリアのこと)と私は暗い子どもだった・・・。母親のお手本として知る唯一の女性が、私たちの父親と結婚したことをいつも嘆いているような家庭で、どうして幸せになれただろう。
~同上書P28

家庭においてやっぱり両親は互いに愚痴なく仲良くなくては・・・。

・ヴェルディ:歌劇「椿姫(ラ・トラヴィアータ)」
マリア・カラス(ヴィオレッタ、ソプラノ)
エデ・マリエッティ・ガンドルフォ(フローラ、メゾ・ソプラノ)
イネス・マリエッティ(アンニーナ、ソプラノ)
フランチェスコ・アルバネーゼ(アルフレード、テノール)
ウゴ・サヴァレーゼ(ジョルジオ・ジェルモン、バリトン)
マリアーノ・カルーソー(ガストーネ、テノール)
マリオ・ツォルニョッティ(ドビニー侯爵&医師グランヴィル、テノール)
アルベルト・アルベルティーニ(ドゥフォール男爵、バス)
トマゾ・ソレイ(ジュゼッペ、テノール)
チェトラ合唱団
ガブリエレ・サンティーニ指揮トリノRAI交響楽団(1953.9録音)

カルロス・クライバーの鮮烈な「椿姫」の洗礼を受けているせいか、この貴重な録音が第1幕冒頭からどうにも鈍く聴こえるのは僕だけだろうか?全体的にはもっとメリハリの効いた、喜びと哀しみを包括した、前のめりの演奏が好みなのだが・・・(刷り込みがあるのだろう)。
ただし、さすがに全盛期のマリア・カラスのヴィオレッタは素晴らしい。
例えば、第3幕のシェーナと二重唱「過ぎ去りし、夢の日々よさらば」におけるカラスの歌の詩情。というか、あまりに直情的でウェットな歌は夢見るよう。そして、最終的に死に至るシーンでの不思議な(それこそ悟ったような)色香。この時期のカラスならではのものだろう。

ところで、国立音楽院でのマリア・トリヴェッラの最初のオーディションで、若きカラスは「ハバネラ」を歌い、即入学を許可されたらしい。

私はマリアを自分の生徒として受け入れることを、とてもうれしく思いました。彼女の歌声に秘められた可能性にたちまちほれこんでしまったからです。
~同上書P35

トリヴェッラが何年も後に語ったこの言葉は、カラスが有名になったからの後付けのもののようにも思えなくないが、確かに「秘められた可能性」はあったのだと思う。

 

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2 COMMENTS

雅之

これは、たしかカラスがダイエットする前の貴重な記録ですよね。

>確かに「秘められた可能性」はあったのだと思う。

「女って海のように秘密を秘めてるの」 

  映画『タイタニック』 ヒロイン ローズの台詞より。

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