モントゥー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲第6番(1958.10録音)ほかを聴いて思ふ

無邪気な、無垢の、赤子のような心を忘れてはならない。
夜半の山中湖畔に降り積もる、物言わぬ無情の雪の中、僕たちが抱える悩みなどというのは実にちっぽけなものだと思い知った。自然は偉大だ、また、残酷だ。

私が子供だった時
神がよく助けてくれた
人間たちの罵声と笞から。
そこで私はのびのびと遊んだ
森の花々と。
そして大空にそよぐ風も
私と遊んでくれた・

草や木があなたに向って
あえかな腕を伸ばす時
その草木の心を
楽しませてやったように
「私が子供だった時・・・」
川村二郎訳「ヘルダーリン詩集」(岩波文庫)P30-31

ヘルダーリンと同年に生まれたベートーヴェンは、やっぱり神を見ていたのだと思う。
以下は、「私が子供だった時・・・」の後半部。

ざわめく森の
快い音が私をはぐくみ
愛を私は学んだ
花々の下で。

神々の腕の中で 私は大きくなった。
「私が子供だった時・・・」
~同上書P32

名作「田園」交響曲を想起させる詩の美しさ。ピエール・モントゥーがウィーン・フィルと録音した同曲の神々しさ、そして喜び、また愛。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67
ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団(1959.5.23-27録音)
・交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ピエール・モントゥー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1958.10.21-31録音)

あるいは、雄渾なハ短調交響曲の堅牢な構築美、そして音に漲る色香。
録音から60年近くを経た今も、決して色褪せることのないモントゥーの至芸。

その昔顕現した至福の者
古き国の神々を
もはや私は呼ぼうとはしない。
故国の水の数々よ! その流れとともに
心の愛が嘆くなら そのほかに何を求めよう
清らかな悲しみにひたる心は? 故国の土は
期待に満ちてひろがり 暑熱の日々のように
不吉な気配の天は 低く垂れこめ
あこがれる水とともに 我らを今日は翳らす。
天は予兆に溢れ おどしつつ迫るかのよう
それでも私はこの空のもとから動かない。

わが魂は 退いてはならぬのだ
いとしくはあれど 遠く過ぎ去った者らの方へ。
彼らの美しい面ざしを かつてのように
眺めることは 命にかかわるだろう。
死者を呼び起すのは 禁断の業なのだ。
「ゲルマニア」
~同上書P153-154

未来を見よと。
4つの厳粛な音が、そのことを僕たちに訴える。

 

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