リカド&アバド指揮シカゴ響のラフマニノフ「パガニーニ狂詩曲」ほか(1983.2録音)を聴いて思ふ

超絶技巧カプリース(奇想曲)がロシア的憂鬱を秘め音化される様子に感慨を深くする。
とても懐かしい。
もう35年近くも前のこと。光陰矢の如し。
あの頃、ラフマニノフの協奏曲第2番にはまっていて、いろいろなピアニストの録音を僕は聴き漁っていた。
セシル・リカドという、聞きなれない名前の、これがデビュー録音だというピアニストのものは、アバド指揮シカゴ交響楽団が伴奏を務めているというので買った。
何だかとても初々しくも一生懸命さの伝わる演奏で、とても僕は気に入った。
しかも、お目当ての作品よりも一層聴き込んだのは「パガニーニ狂詩曲」の方。
久しぶりに聴いてみて、あの頃の、甘酸っぱくも切ないいろいろな記憶が甦ってきた。
音楽の、記憶を刺激する効果というのは実に興味深い。
各変奏は、ラフマニノフらしく技巧的でありながら見事に音楽的。

ところで、「狂詩曲」初演前の作曲者の言葉。

・・・かなり難しい代物なので、練習を始めなければならないのです。なにしろ私は、年々指の動きが鈍くなっているのですから。それで、すでに私の手中にある老練さかなにかで済まそうと、やっきになっているのです。・・・
ニコライ・パジャーノフ著/小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」(音楽之友社)P399

随分な謙遜だと思う。
ラフマニノフの音楽性は、その演奏の類稀なる技術とあわせ指折りのもの。
特に、第17変奏から有名な第18変奏にかけての移ろいは、作曲者の神髄を表し、ここでのリカドの独奏も、またシカゴ響の伴奏もとろけるほど浪漫的で、美しい。

彼は、リストやルビンシテーインがともに作曲家であったにもかかわらず、作曲家が常に自分の作品の最上の演奏家であることをあえて肯定しなかった。もし自分の作品を自分で演奏するほうが他人が演奏するよりも有利だとすれば、それは本人なら自分の音楽を誰よりもよく知っていて、いわゆる内部から取り組むことができるというに過ぎない、としている。
~同上書P399

しかも、ラフマニノフはプロコフィエフ的打楽器奏法の妙を忘れない。
時代遅れの方法でなく、ほど良い現代的センスを加味するのである。

・・・作曲家は必ずしも理想的な指揮者―ではありません。リームスキイ=コールサコフ、チャイコフスキー、ルビンシテーインが自分の作品を指揮したのを聞いたことがありますが、結果は極めて悲惨なものでした。音楽というすべての天職の中で、指揮は独立したものなのです。ということは、自分の力ではとうてい得られない、特別の天賦の才によるものです・・・
~同上書P399-400

なるほど、ここでの成功は、間違いなくアバドの天賦の才によるものだろう。

ラフマニノフ:
・ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18
・パガニーニの主題による狂詩曲作品43
セシル・リカド(ピアノ)
クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団(1983.2録音)

協奏曲第2番は、オーソドックスな表現でありながら密度の濃い音調を示す。
第2楽章アダージョ・ソステヌートの、冒頭管弦楽の静けさと憂愁こそアバドの真骨頂。続いて徐に奏されるリカドのピアノ独奏も悲哀に満ち、思い入れたっぷりで素敵。

ロシアを離れた時、私は作曲するという希望を捨てました。故郷を失った私は自身をも捨てたのです。音楽の源と伝統と故郷の土を失った亡命者には、心乱さぬ追想のかたくなな沈黙のほかは、創作の希望もなければ、別の楽しみもないのです。
~同上書P401

絶望や喪失感こそが芸術の種子。
すべてはなるようになる、否、あるべくしてあるということだろう。

 

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