デュトワ指揮モントリオール響のレスピーギ「ローマ三部作」(1982.6録音)を聴いて思ふ

出逢う人、通りすがりにただすれ違う人、各々にそれまでの人生がある。それが山あり谷ありであったかどうかはもちろんわからない。どんな生き様であれ、いつどんな時も僕が知らないところで無数の「世界」が動いているのである。自分が知っていることなどほんの僅かな部分に過ぎない。

旅先でふと思った。
73億の人生が同時に進行していて、おそらくこの先も出逢うことのない無関係な人たちも大勢。また、仮に出逢った人であってもそれ以前のその人の人生については一切の関与がなかったという事実。人と人との交差、つながりというのは何だかとても不思議なもの。

一方、町はいつもそこに存在し、人々を昔も今も見つめ続けてきた。行き交う人たちは異なれど、町そのものは永遠に変わることはない。
塩野七生さんは「ルネサンスとは何であったのか」の中で、「永遠の都市ローマも、良く言えばこせこせしない、正確に評すればチャランポラン、な都市なのだ」と書き、その一例として、モンテーニュの「イタリア紀行」から次の部分を引用されている。

―ローマに住むことの気楽さの一因は、この都市が世界のどこよりもコスモポリタンであることだ。ローマほど、外国人であることや生国がどこであるかなどということが、問題にされない都市もない。事実、住んでいる外国人は多いが、この人々とて同国人同士で固まって住んでいても、彼らのいずれもがまるで自分の国に住んでいるかのように生活している。このローマ統治者はローマ法王だが、彼の権威はどこに住まおうとキリスト教徒の全員に及ぶわけだから、彼の住むこのローマが隣り合って生活する各国別のコミュニティで成り立っているのも当然なのだろう。法王の選出でも枢機卿の任命でも、出身国別が問題にされないのがローマなのである。
塩野七生ルネサンス著作集1「ルネサンスとは何であったのか」(新潮社)P113-114

どこに行っても場末のような雰囲気を醸すローマの素晴らしさは、まさに「チャランポランな」、すなわち鷹揚な空気にあるのだと思う。
いつの時代も芸術家たちはその土地の空気に触発され、印象を抽象化、あるいは具象化し、言葉や音、絵画として残してきた。いや、それは芸術家に限ったことではない。どんな人間も訪れた風景を記憶の片隅に刻むべく現在ならばカメラのシャッターを切り、残す。町が、その土地が僕たちに与える影響というのはとても大きい。

レスピーギ:
・交響詩「ローマの松」
・交響詩「ローマの祭り」
・交響詩「ローマの噴水」
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1982.6録音)

「ローマの松」第1部「ボルゲーゼ荘の松」冒頭から鮮烈の極み。トランペット・ソロの澄んだ音が懐かしさを喚起する第2部「カタコンベ付近の松」は、クライマックスに向けて堂々たる歩みをみせ、聴く者の肺腑を抉る。素晴らしい。あるいは、第3部「ジャニコロの松」での、クラリネット独奏は美しく、実に儚い。そして、人心を鼓舞する第4部「アッピア街道の松」での雄渾な進軍はデュトワ&モントリオール響の真骨頂。
続く「ローマの祭り」においては、例えば「チルチェンセス」での金管群の咆哮にオーケストラの類稀なる機能美を知り、「五十年祭」での静謐な祈りの歌にこのオーケストラの繊細な響きに感応する。

白眉は「ローマの噴水」。第3部「真昼のトレヴィの泉」の猛々しい音楽と、日輪が沈みゆく様を描く第4部「黄昏のメディチ荘の噴水」の静かに煌めく音楽の対比に感無量。
デュトワの音楽性、描写力の勝利。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


2 COMMENTS

雅之

>73億の人生が同時に進行していて、おそらくこの先も出逢うことのない無関係な人たちも大勢。また、仮に出逢った人であってもそれ以前のその人の人生については一切の関与がなかったという事実。人と人との交差、つながりというのは何だかとても不思議なもの。

・・・・・・全てのことを深く知るのって無理だと思わない? 誰かが知っていることを誰かは知らなくて、そうやって世界はまわってるんじゃないかしら。・・・・・・ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」から、私にとって印象深かった土屋百合の台詞より

https://www.amazon.co.jp/%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AF%E6%81%A5%E3%81%A0%E3%81%8C%E5%BD%B9%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4-Blu-ray-BOX-%E6%96%B0%E5%9E%A3%E7%B5%90%E8%A1%A3/dp/B01N7DDF7N/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1491726960&sr=1-1&keywords=%E9%80%83%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%AF%E6%81%A5%E3%81%A0%E3%81%8C%E5%BD%B9%E3%81%AB%E7%AB%8B%E3%81%A4

そして、世界約73億人の誰か一人でもいなかったら、今の岡本様や私は存在しておらず、仮に存在できたとしても、そこにいるのは今あるような岡本様や私ではなく、何かが微妙に異なる別な岡本様や私だったかも・・・。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

>・・・・・・全てのことを深く知るのって無理だと思わない? 誰かが知っていることを誰かは知らなくて、そうやって世界はまわってるんじゃないかしら。・・・・・・

はい、その通りでしょう。
しかし、無理を承知ですべてを深く知りたいのです。

>世界約73億人の誰か一人でもいなかったら、今の岡本様や私は存在しておらず、

はい、おっしゃるように世界はパラレルです。
生きるって面白いですね。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む