朝比奈隆指揮大阪フィルのブルックナー交響曲第8番(1983.9.14Live)を聴いて思ふ

もしかしたら
今年は
後ろに
陽大がいるから
かもしれない

二年前の
あの時 までは

単なる
「隣の神社の子」だった
くらもちふさこ作「花に染む①」(集英社)P16-17

普通だった人が特別な人になる瞬間を、ある日、突然に人は体験する。
陽大の流鏑馬を見た宗我部花乃が後の述懐する想いは、何ものにも代えられない真理だ。

こんなに時が経っても
あの衝動は そのまま
ここに 籠ってる・・・
くらもちふさこ作「花に染む②」(集英社)P46

衝動は決して消え去ることがない。
僕が初めて朝比奈隆御大の実演を聴いたのは東京カテドラル教会聖マリア大聖堂でのブルックナーだった。この刷り込みは僕にとって実に大きい。
例えば、交響曲第8番。あの、ハース版による謹厳実直な演奏は、別の誰かの演奏の代替が効かないもので、幾度も聴いた御大の思い出をふいにすることが怖くて、2001年の最後の東京定期での崇高な不滅の演奏以来、僕はこの曲を実演では耳にしていない。
もうそろそろその呪縛から逃れても良い時期だとは思うが、今のところ「聴く」チャンスがない。

・ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1983.9.14Live)

あの衝撃を果たして録音で再確認できるのかは怪しい。
これは、あの日、あの場所にいた人にしか絶対にわからないだろう(門外不出の?)儀式だ。演奏の細部について、また長過ぎる残響の是非について云々するつもりは今の僕にはない。35年近く前の、御大の音楽生活50年を記念したこのイベントをただ回顧し、その意味をあらためて享受する、ただそれだけで僕は満足だということ。
終楽章の祈りはことのほか素晴らしい。何よりコーダの熱量!!

私が陽大の射に
憧れるように

陽向兄や陽大も
雛さんに憧れ
目指していたんじゃ
ないかと
ふと思ってしまう

私は

目指していた人が
消えてしまって
この一年半

どこを向いているのか
分からなかった

どう思われても
やっぱり 私

陽大を向いて
歩いていきたいんだ
くらもちふさこ作「花に染む①」(集英社)P130-131

特に進化のプロセスにおいては、人には人が必要で、また目標が必要なのだと確かに思う。

花に染む
心のいかで 残りけむ
捨て 果ててきと
思ふ わが身に
西行法師
~同上書P146-147

生身の人間には、結局聖俗は切り離せぬということか・・・。
人は自然の美しさに自ずと魅了されるもの。
野人アントン・ブルックナーの信仰心を知る。
そしてまた、朝比奈御大の愚直な演奏を通じて、人間の内側にある強さと弱さを垣間見る。
じたばたせず、ただあるがままを受け容れることだ。

 

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2 COMMENTS

雅之

>これは、あの日、あの場所にいた人にしか絶対にわからないだろう(門外不出の?)儀式だ。

すべてのライブ音盤は、実際に居合わせた人の体験とはまったく別ものですよね。

「花に染む」は残念ながら未読で、あっさり、今回は勉強不足で負けました(笑)。

町田の「駅から5分」にあるイタリアンレストラン「アレグロ コン ブリオ」で、岡本様と一献やるチャンスはないかと、昔から狙ってはいましたが(笑)。

https://retty.me/area/PRE13/ARE656/SUB2804/100001159516/

返信する
岡本 浩和

>雅之様

相変わらずのひらめきに脱帽です。
確かに町田駅「駅から5分」にある「アレグロ・jコン・ブリオ」で一献傾けたいですね。
将来企画しましょう!(笑)

それまでに「花に染む」と「駅から5分」はしっかり読んでおいていただいて、朝比奈先生を肴に語りたいと思います。

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