バーンスタインのモーツァルト

mozart_35_41_bernstein_vpo.jpg拙宅では、『エルーデ・サロン』と称し、毎月お母さんと赤ちゃんのための「音浴じかん」が開催されている。本日はその「音浴じかん」の日。朝からばたばたと準備やらで忙しく過ごしたが、11組ものお客様にご参加いただき、皆様に喜んでいただけたようでよかった。
特に、子どもたちに楽器演奏を楽しんでいただくコーナーが人気のようで(もちろん愛知とし子のピアノ演奏も、菜食料理のランチも人気は高いが)、幼少の頃から良い音楽や楽器に触れることは大切なことだとあらためて思った。

子どもは正直である。どこをどう切り取ってみてもモーツァルトの音楽以外の何ものでもなく、とても人の子が生み出したとは思えない、天から降ってきた「啓示」のような「楽の音」。モーツァルトの音楽が流れた途端ご機嫌になる(今日のプログラムにモーツァルトはなかったが、これまでの経験から言うと概してそうである)。
無意識に自分を信じることができなくなくなった時にはモーツァルトなどを聴いてみるとよい。この世には本来ならば何の規律も法則も存在し得ないが、仕事や様々なしがらみなどで雁字搦めになり、「自分で自分の道を楽しむ」ことが困難になったとき、彼の音楽が間違いなくあなたを癒してくれる。

バーンスタインが80年代に録音した演奏はどれも僕好みである。それもどういうわけかウィーン・フィルハーモニーとの演奏が飛び切り「うねり」に満ちていて、僕の心を揺さぶる。昨日はクレンペラーのモーツァルトについて少々触れたが、久しぶりにバーンスタインのモーツァルトを聴いてみた。後期6大交響曲。まだ彼が存命だった頃、そう20年以上も前に購入した3枚組のアルバム。第35番ニ長調K.385「ハフナー」から第41番ハ長調K.551「ジュピター」、そして第36番ハ長調K.425「リンツ」、第38番ニ長調K.504「プラハ」と聴き進み、第39番変ホ長調K.543の第1楽章途中で根が潰えた。第39番が凡演というわけでは決してない。「リンツ」交響曲に関してはもう少しテンポを速めにとってもらえたらなお、と余計な感想を感じつつも、彼の表現するモーツァルトがあまりにもセンス満点で、それぞれが情感たっぷりで、お腹がいっぱいになってしまったというところだろうか・・・。

小休止を挿み、第40番ト短調K.550を聴いた。立て続けに2度も聴いた。言葉が出ない。何も言うことが見当たらない。困窮の最中にありながら、天才が世に問うたこの不滅の音楽をバーンスタインがいわば「中庸」の域で紡ぎ出す(主情的なように見え、そこにはモーツァルトの音楽しか存在しない)。

stravinsky_firebird_bernstein.jpgバーンスタイン&ウィーン・フィルという組み合わせは一世一代で、少なくとも僕が所有している音盤においては、他のどの楽団との録音と比べてもバランスが取れているように思う。おそらくオーケストラ自体の力量が明確に反映された結果なのだろうと思うが、バーンスタイン色に染められながらも、それが決して過剰にならず常に有機的な響きをもたらしてくれるところがいつ聴いても飽きないところなんだと思う(飽きないどころか、いつ何時でも惹き込まれてしまう)。

モーツァルト:後期6大交響曲集
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

例えば、イスラエル・フィルと録音したストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」や「火の鳥」。こちらは、同じバーンスタインが指揮したとは思えないほど無機的で、聴後まったく何も残らない。残念ながらこれはあまりいただけない。

ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」(1919年版)
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私がベームなどの旧世代指揮者のモーツァルト演奏が最高だと考えるのも、岡本さんがバーンスタインのモーツァルトに惚れこむのも、多分刷込み効果なんでしょうね。ハイドンの交響曲などでも、ユーモアの表出はピリオド奏法のほうが得意ともいわれ、納得できる部分もありますが、好きなのは、断然旧世代指揮者とモダン奏法の演奏であることに変わりはありません。
しかし自分がアマオケでモダンしか演奏した経験がないこともあるのでしょうが、今のピリオド奏法は過度期の演奏スタイルに過ぎず、あと10年もすれば、もっと研究が進んで、すっかり時代遅れになり、芸術的完成度も中途半端であるとして、誰からも見向きもされなくなる可能性が高いんじゃないでしょうか? すでに時代の流れに敏感な一部の人は、現在、画一的ピリオド奏法一辺倒の状況に対する反省期に入っていることに、気付いていると思います。
お笑いの世界には、世代があるそうで・・・。
演芸ブーム(代表的人物に林家三平、桂三枝、コント55号、ザ・ドリフターズら)を「お笑い第一世代」、
漫才ブーム – オレたちひょうきん族メンバーまで(ビートたけし、明石家さんま、タモリ、島田紳助ら)を「第二世代」、
とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンらが「第三世代」、
1990年代前半から台頭してきた若手お笑い芸人と、彼らと同世代ながら2000年代前半に遅咲きでブレークしたお笑い芸人が、「第四世代」・・・。
(Wikipediaより)
そして、最近の若手お笑い芸人の「第四世代」以降・・・。
私が心底楽しめるのは、「第三世代」までです。
ピリオド奏法の演奏を聴いたときの感想も、「第四世代」以降のお笑いを観た時の感想に、よく似ています。(浅いんじゃないの? そんなに面白いかねぇ?という・・・)
テレビで、同じボケのシーンを何回も繰返してみせるのも芸がなく興醒めで、ピリオド信奉者の、提示部の繰返し信仰みたいで嫌いです。
ウィーン・フィルの各時代の演奏スタイルも、「ウィーン金貨」と同様に、いつの時代、どの世代にも、不変の価値を持っているのでしょうか?
http://gold.tanaka.co.jp/commodity/shohin/wien.html

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
そうですね、刷り込みでしょうね。好き嫌いでいえば、圧倒的にモダン楽器が好きです。
>すでに時代の流れに敏感な一部の人は、現在、画一的ピリオド奏法一辺倒の状況に対する反省期に入っていること
何でもそうですが、時代を経るにつれ左脳的になってゆくんですよね。何か新しいことをしなきゃ、という考えばかりが先行して、人間のいわば浅はかな知恵が塗りたくられて厚化粧になってゆくというような・・・。
結局、現在のこの世の中で「ピリオド楽器」時代の本当の演奏を聴いたことがある人は誰もいないわけですからね。
>お笑いの世界には、世代があるそうで・・・。
あぁ、これはよくわかります。僕も雅之さん同様第三世代までですね。
>テレビで、同じボケのシーンを何回も繰返してみせるのも芸がなく興醒めで、ピリオド信奉者の、提示部の繰返し信仰みたいで嫌いです。
同感です。

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