デュメイ&ピリスのグリーグ ヴァイオリン・ソナタ集(1993.5録音)を聴いて思ふ

初夏の太陽と風。今頃の季節が一番心地良い。
爽快な風に身を委ねた。音が一層美しかった。
音楽は、オーギュスタン・デュメイがマリア・ジョアン・ピリスの伴奏で録音したグリーグのソナタ集。

20余年前、ブームになった「ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙」をひもといた。最終章「ビッグバン―わたしたちも星屑なんだ」には次のようにあった。

きみもわたしもビッグバンから始まっている。なぜなら宇宙のすべての物質は一つの有機体のようなものだからだ。原始のいつかある時、すべての物質は一つのかたまりに丸まっていた。このかたまりはとてつもなく中味がぎっしりと詰まっていて、針の先くらいでも何十億トンもあるほどだった。この原物質が、自分自身のとほうもない重力のために爆発した。そしてこなごなになった。わたしたちは空を見あげるたびに、始源への帰り道を探していたことになるんだよ。
ヨースタイン・ゴルデル著/須田朗監修/池田香代子訳「ソフィーの世界―哲学者からの不思議な手紙」(NHK出版)P653

宗教を物理的に、あるいは哲学的に語るとそういうことになるのだろう。よくわかる。
また、「フロイト―彼女の心に兆したおぞましい、身勝手な願望」という章には、こうあった。

フロイトは、人間と環境はいつも緊張関係にある、と考えた。もっとちゃんと言うと、人間の本能や欲望と、環境がつきつける要求とのあいだには緊張があるのだ。緊張ではなくて葛藤と言ってもいいけど。フロイトは人間の本能を発見したと言ってもオーバーではない。
~同上書P547

それは、真我と仮我の、普段意識しない葛藤のことを指すのだろうか。

あるところでフロイトは、超自我は自我にたいして良心として向きあう、と言っている。超自我は、ぼくたちがけがらわしい、あるいはふさわしくない願望をいだくと警告を発するんだ。とくにエロティックな願望や性的な願望のばあいなんかにね。そういう願望は、さっきも言ったように、すでに子どもの頃に兆すとフロイトは主張した。
~同上書P550

性の問題は人間のそれこそ原罪に近いものだと思う。
北原白秋と松下俊子が不倫の罪によって収監されたエピソードを思った。不思議にも白秋は俊子のことをソフィーと呼んでいた。

罪びとソフィーに贈る 「三八七」番
あだごころ君をたのみて身を滅す媚薬の風に吹かれけるかな
鳴きほれて逃ぐるすべさへ知らぬ鳥その鳥のごと捕へられにけり
かなしきは人間のみち牢獄みち馬車の軋みてゆく礫道。
大空に円き日輪血のごとし禍つ監獄にわれ堕ちてゆく
まざまざとこの黒馬車のかたすみに身を伏せて君の泣けるならずや
しみじみと涙して入る君とわれ監獄の庭の爪紅の花
罪びとは罪美とゆゑになほいとかなしいぢらしあきらめられず
ふたつなき阿古屋の玉をかき抱きわれ泣きほれて監獄に居たり
川西政明著「新・日本文壇史・第1巻―漱石の死」(岩波書店)P133

白秋の心の傷、それにもまして募る愛。真に壮絶だ。
聖俗の混交は人間の歴史なり。中で、芸術こそ理知と愛欲が交錯してのものであり、性愛のない作品ほどつまらないものはない。

それでいうと、デュメイのヴァイオリンは何て艶やかで、何とエロティックなのだろう。
また、ピリスのピアノ伴奏は何て包容力に溢れるのだろう。

グリーグ:
・ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ長調作品8
・ヴァイオリン・ソナタ第2番ト長調作品13
・ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(1993.5録音)

20代のグリーグの若書きである、ヘ長調とト長調のソナタは実に爽やかで心地良い響き。北の国の、まさに白夜の時期の美しい緑を思わせる音調。例えば、ヘ長調の第2楽章アレグロ・クワジ・アンダンティーノの可憐な旋律には、シューマンやメンデルスゾーンの木魂が聴こえ、とても心に残るもの。あるいは、ト長調ソナタ第1楽章の深い悲しみを湛えた音楽に、感動の涙を禁じ得ない。
とはいえ、円熟期の作であるハ短調ソナタの雄渾で深遠な音楽こそグリーグの神髄。
なるほど、こうやって並べて聴いてみて思うのは、一人の作曲家の作品はまさに一つの有機体であるということ。音楽もビッグバンに始まっているのだろう。そして、作曲家というもの、始源への帰り道を探しながら日々格闘していたのだと思う。

 

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3 COMMENTS

雅之

科学や哲学ネタ等の、いかにもな「釣り」には引っ掛かりません(笑)。しかしながら、

>作曲家というもの、始源への帰り道を探しながら日々格闘していたのだと思う。

音楽を甘やかす音響のよい新しいホールよりも、東京文化会館や、特に日比谷公会堂に、古い音楽家や聴衆の「霊」を感じてしまうのは、自分がいつのころからか「廃墟マニア」になったからかもしれません。

所有していて、時々観るBDに、「廃墟の休日」があります(タルコフスキーの映画に出て来そうな画像が満載です)。

https://www.amazon.co.jp/%E5%BB%83%E5%A2%9F%E3%81%AE%E4%BC%91%E6%97%A5-%E7%89%B9%E5%85%B8%E3%81%AA%E3%81%97-Blu-ray-%E5%AE%89%E7%94%B0%E9%A1%95/dp/B013WCH96A/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1495542649&sr=1-1&keywords=%E5%BB%83%E5%A2%9F%E3%81%AE%E4%BC%91%E6%97%A5

ついでに、始源を想い起こすうえでの、おすすめ映画をもうひとつ。「ミツバチのささやき」

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%81%E3%81%AE%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8D-HD%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC-DVD-%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%81%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%81%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%A1%E3%82%B9/dp/B00VRGXONQ/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1495543963&sr=1-1&keywords=%E3%83%9F%E3%83%84%E3%83%90%E3%83%81%E3%81%AE%E3%81%95%E3%81%95%E3%82%84%E3%81%8D
 

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岡本 浩和

>雅之様

>東京文化会館や、特に日比谷公会堂に、古い音楽家や聴衆の「霊」を感じてしまうのは、自分がいつのころからか「廃墟マニア」になったから

廃墟マニアというカテゴリーは初耳ですが、なるほど時間的空間的に奥深そうな世界ですね。
確かに霊的なものはあるのでしょう。日比谷は一度しか経験がないので語れませんが、上野については同感です。

珍しい「廃墟の休日」はともかく(笑)、「ミツバチのささやき」は観てみたいと思います。

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