ブーレーズ指揮BBC響のシェーンベルク管弦楽のための変奏曲（1976.9録音）ほかを聴いて思ふ

後期ロマン派風の時代から十二音技法時代、そしてその過渡期的時代という極端な革新こそアルノルト・シェーンベルクの核心であり、そこには一たびはまると抜けられない魅力がある。
倒錯的没頭とでもいえばいいのか、一般には受け容れ難い方法によって創造された音楽は、かえって濃密な色香を伴う。

谷崎潤一郎の「卍（まんじ）」という倒錯小説の一節。

先生なんかこんなことよう分っておられますやろけど、ほんまに人間の心理云うもんは境遇によってえらいえらい変りようするもんですなあ。前でしたら時に依ってははっと思て、ああ、こんな事するのんやなかったと、後悔する気イになりましたのんに、今では反抗的に、なんじゃ意気地のない、これぐらいのこと恐がってどないすると、自分で自分の臆病あざわらうようになるなんて、・・・それに、夫に内証で外の男愛したら悪いやろけど、女が女恋いするねんよってかめへん。同性の間でなんぼ親しなったかて夫がそれとやかく云う権利あれへんと、いつもそんな理屈つけて自分の心欺いてました。その実わたしの光子さんを思う程度は、前の人思うたのより十倍も二十倍も、・・・百倍も二百倍も熱烈やったのんですけど、・・・
～谷崎潤一郎著「卍（まんじ）」（新潮文庫）P53

そう、人間の心は弱くて強いもの、また強くて弱いもの。それくらい環境によって変化するものなのだ。

「あてかって覚悟してるわ。姉ちゃんあてが死ぬ云うたら一緒に死んでくれるなあ？」「死ぬわ、死ぬわ、光ちゃんかって死んでくれるなあ？」―そんな工合で二人の間はその喧嘩があったためになおのこと深刻になりましたけど、夫は匙投げたんかそんなり何も云いませなんだのんで、此方はいよいよ図に乗って大胆になるばかりでした。
～同上書P65

この、主人公柿内園子の大阪言葉による赤裸々な告白こそ、シェーンベルクが時の政権に反発しながら、それでいて妖艶な音調を残しつつ生み出した音楽の核に近いものだと僕は思った（あくまで独断と偏見ゆえ異論はあろうが）。その心情はわからないけれど、言いたいことはわかるというような人間の内側に存在する矛盾。それがまた美しく、そして魅力的なのである。

シェーンベルク：
・音楽付ドラマ「幸福な手」作品18（1910-13）（1981.3.12録音）
・管弦楽のための変奏曲作品31（1926-28）（1976.9.23録音）
・「浄められた夜」作品4（弦楽合奏版）（1899, 1917&1943編曲）（1973.9.24録音）
ジークムント・ニムスゲルン（バス）
BBCシンガーズ
 ピエール・ブーレーズ指揮BBC交響楽団
 ピエール・ブーレーズ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック

ブーレーズの音楽は、相変わらず冷徹で客観的。しかし、そういう激性こそがシェーンベルクの真髄をつかむものであり、聴いていて実に安心感があり、繰り返し耳にしたくなる。特に、「変奏曲」の緊迫感は聴いていて息苦しくなるほどのもので、後の自身の不遇を予感するようなあえぎがむしろ美しい。

そういえば、「卍（まんじ）」の反転形がナチスのシンボルである「ハーケンクロイツ」であることは何だか象徴的だ。まさに聖と俗が入り乱れる鏡の世界といえば語弊があるだろうが・・・。ちなみに、デーメルの退廃的な詩にインスパイアされた「浄められた夜」の喘ぎの中に垣間見る諦めのような悟りの境地はブーレーズならでは。いずれも名演奏である。

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