アナスン指揮クレメッティ室内合唱団の「ピエ・カンツィオーネス」(1981.6録音)を聴いて思ふ

北欧諸国はちょうどいま白夜なのだろう。
かつて一度訪問の計画を立てたものの、諸事情でご破算になったフィンランド周辺の旅。
あの時は、レイフ・セーゲルスタムやパーヴォ・ベルグルンドのシベリウスを聴く予定だった。

沈まない太陽は僕たちに何を語りかけるのだろう?
奇蹟だ。
清澄な聖なる歌が、大自然と大宇宙の神秘を代弁するよう。
タリス・スコラーズに触発され、16世紀の北欧の(時間の)旅に出る。
「ピエ・カンツィオーネス」。
素朴で、また美しい無伴奏の合唱。
2声による「天の使いは来り」は、わずか1分半に満たない祈りの合唱。

そなえよ、天の使いは
喜び、乙女の許に来り、
いと高き神の言葉を告げ
湧き出ずる歓喜にみちて
かくいう。天の助けによりて
みごもれるこの乙女に幸いあれ。
すぐれし聖なる母よ。
汝、暗きをしりぞけたり。
「天の使いは来り」
(訳:鈴木一郎)

信じることなのだと思う。

ピエ・カンツィオーネス―フィンランドの古い聖歌集―
・天の使いは来り(2声)(15世紀ボヘミア)
・歓喜の歌に(2声)(12~13世紀英国)
・幼な子はベツレヘムに生れぬ(2声)(1553年Lossiusの聖歌集より)
・幼な子はベツレヘムに生れぬ(4声)(年代不詳、ドイツでの編曲か?)
・冬は遠く去り(3声)(15世紀ボヘミア)
・冬は遠く去り(4声)(15世紀ボヘミア)
・とこしえのよき歌の響きは(2声)(D.Friderici作曲)
・とこしえのよき歌の響きは(4声)(D.Friderici作曲)
・いざ、ともに喜ばん(3声)
・いざ、ともに喜ばん(4声)
・イエスのうるわしき思い出は(4声)(歌詞は12世紀ドイツ:定旋律は16世紀ドイツ、4声の編曲はおそらくフィンランドのもの)
・木の上のザーカイ(2声)(15世紀ボヘミア)
・永遠の生命の泉にむかい(4声)(歌詞は聖アウグスティヌス、作曲はD.Friderici)
・緑のオリーヴの小枝を(1声)(聖ヘンリーに関するフィンランドの聖歌)
ハラルド・アナスン指揮クレメッティ室内合唱団(1981.6録音)

それにしても、12分近くに及ぶユニゾンでの「緑のオリーヴの小枝を」の極めつけの美しさ!!静けさの神秘と、内なる熱情の湧出。
ところで、鷗外の「妄想」と題する短編の一節にはこうある。

丁度経一尺位に見える橙黄色の日輪が、真向うの水と空と接した処から出た。水平線を基線にして見ているので、日はずんずん升って行くように感ぜられる。
それを見て、主人は時間ということを考える。生ということを考える。死ということを考える。
「死は哲学の為に真の、気息を嘘き込む神である。導きの神(Musagetes)である」とSchopenhauerは云った。主人はこの語を思い出して、それはそう云っても好かろうと思う。しかし死というものは、生というものを考えずには考えられない。死を考えるというのは生が無くなると考えるのである。
「妄想」
森鷗外著「山椒大夫・高瀬舟」(新潮文庫)P52-53

なるほど、白夜の時というのは、天の配剤による生を謳歌する時なのだと思う。
「ピエ・カンツィオーネス」の素朴な美しさ。

 

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2 COMMENTS

雅之

>沈まない太陽は僕たちに何を語りかけるのだろう?

A thousand years of happy life be thine!
Live on, my Lord, till what are pebbles now,
By age united, to great rocks shall grow,
Whose venerable sides the moss doth line.

てな歌も、聴きたいものです。

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