宇野功芳指揮新星日響のベートーヴェン交響曲第7番ほか(1997.7.9Live)を聴いて思ふ

第1楽章冒頭のアインザッツを微妙にずらす方法が、かつての巨匠の明らかなものまねであるところはまだ良い。深淵を覗き込むような、ゆったりとした足取りの重厚な序奏部ポコ・ソステヌートは思いがこもり、とても素敵だ。
しかし、主部ヴィヴァーチェに入っての、急アクセル、急ブレーキなど、意味不明なテンポの伸縮には到底ついていけぬ。それでも1回きりのライヴで触れるならば、一瞬のひらめきのようでありながら実は用意周到で極端なこの恣意性は「洒落」ということにして許すこともできよう。あるいは、面白いと手を叩いて喜ぶこともできたのかもしれない。
この音楽についてライヴ当日のプログラムの中で、指揮者自身は次のように解説する。

第1楽章には起伏に富んだ長い序奏があり、単一リズムによる主部に入ります。普通は速いテンポによる躍動的なよろこびの音楽として演奏されますが、果たしてそうでしょうか。僕にはもっと重々しい情熱の音楽として感じられます。とくに真中の展開部は苦しい情熱とはいえないでしょうか。キリストが重い十字架を背負い、足を傷つけ、あえぎながらゴルゴダの丘を登ってゆくような音楽、僕はそのように表現したい。
KICC237ライナーノーツ

古今東西、これまでの誰がこの音楽をして「キリストが重い十字架を背負い、足を傷つけ、あえぎながらゴルゴダの丘を登ってゆくような音楽」だと想像し得たのだろう。おそらくこの人しかいないのでは。なるほど、この音楽はあくまで独断的主観の産物だということだ。
また、第2楽章アレグレットを「一種の葬送行進曲だ」とし、その演奏の遅々として進まぬ様子は現世への憧憬を引きずるかのようであり、まるで後ろ髪を引かれる思いを表現するものだろう。濃密な表現は美しいと言えば美しい。しかし、もたれると言えばもたれる代物。果たしてこれは、宇野功芳フリークだけが受け容れることのできる音楽。

宇野功芳さんが亡くなってちょうど1年が経過する。
音楽評論というジャンルで彼の功罪が様々叫ばれる中、彼自身が残した数多の演奏を聴いてみると、少なくともオーケストラの指揮においては確実に天邪鬼的解釈(?)を施しており、功はおろか罪しか残さなかったのではないかと思えるほど。

ベートーヴェン:
・「コリオラン」序曲作品62
・交響曲第7番イ長調作品92
ハイドン:
・セレナーデ~弦楽四重奏曲作品3-5第2楽章アンダンテ・カンタービレ(弦楽合奏)
宇野功芳指揮新星日本交響楽団(1997.7.9Live)

第3楽章プレストの加速度的勢いは立派なもの、また、トリオの大仰なゆったり感もある意味堂々としていて面白い。それにしても終楽章アレグロ・コン・ブリオの滅茶苦茶な構成の観はほとんど「マンガ」のよう。
ちなみに、コンサート当日のプログラムに宇野さんは次のように書かれている。

このところクラシック音楽の衰退が話題になっています。その理由はとくに指揮者の個性がうすくなり、誰を聴いても大差ないからでしょう。指揮者の個性が弱くなり始めたのは、もう20年以上も前からで、僕がオーケストラ・リサイタルを思い立ったのは、この風潮に少しでも一石を投じたかったからです。その役割はある程度果たしたと思いますが、リサイタルを重ねるにしあがって、まともな演奏も出来るということを示したい、というプロ意識が出て来たのは事実です。また、そのことを指摘もされました。今夜は初心に戻り、「コリオラン」や、とくに「第七」の第1、第4楽章で久しぶりに大暴れしたいと考えています。
KICC237ライナーノーツ

確かに終演後の聴衆の信じられない熱狂的拍手喝采は、宇野さんの言葉通りの演奏が繰り広げられたからに相違ない。宇野さんの果敢な挑戦については認めよう。彼くらいしかこんな遊びはできなかったはずだから(亡くなった後もその功罪について長らく語られるだろう評論家なんて他にいないだろうし)。
それでも、やっぱりこの奇天烈な演奏には耐えがたいものがある。「コリオラン」序曲についても同様。

当然だが、ベートーヴェンの交響曲第7番のファースト・チョイスとしてはこの音盤を僕は絶対に薦めない。もはやこの曲を聴き飽きて、何か普通でない刺激的な演奏を聴きたいという奇特な方がいたら自己責任で聴いてみていただきたい。圧倒的な面白さが味わえるゆえ。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


6 COMMENTS

雅之

あるブログで、「宇野功芳に失望」という記事を読んだ。宇野功芳が新星日本交響楽団を指揮したベートーヴェンのCDを買って聴いたのだが、いかにも奇天烈な表面的で皮相な演奏であり、がっかりした、というのだ。

僕にいわせれば、たった一言で終わりである。「宇野さんのベートーヴェンのCDなど買う方がわるい」。知らなかった、とは言ってほしくない。ベートーヴェンを愛する者は、そのくらいは知らなくてはだめだ。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

おっしゃるとおりでございます。(笑)

他の盤でももちろん良かったのですが、よりによって20年ぶりのベートーヴェン7番でした・・・。
しかし、まぁ、宇野さんの命日だったですからお許しを。

返信する
雅之

まさかとは思いますが、宇野さんファンなら誰でも知っていて大変なインパクトを与えた評論のパロディだとお気付きではなかった? 原典は、「クラシックの名曲・名盤」(講談社現代新書)の中のブル9の項です。

・・・・・・ある音楽雑誌の読者のページで、「メータに失望」という記事を読んだ。メータがイスラエル・フィルとともに来日し、ブルックナーを指揮する、というの聴きに出かけたが、いかにも表面的で皮相な演奏であり、がっかりした、というのだ。

僕にいわせれば、たった一言で終わりである。「メータのブルックナーなど聴きに行く方がわるい。」知らなかった、とは言ってほしくない。ブルックナーを愛する者は、そのくらいは知らなくてはだめだ。・・・・・・

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%9B%B2-%E5%90%8D%E7%9B%A4-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E5%8A%9F%E8%8A%B3/dp/4061489461/ref=sr_1_35?s=books&ie=UTF8&qid=1497209089&sr=1-35&keywords=%E5%AE%87%E9%87%8E%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%BB%E3%81%86

返信する
岡本 浩和

>雅之様

もちろん存じ上げておりますよ。
ただ、雅之さんのコメントがあまりに予想通りのパロディだったので、
知らぬ振りの態で返答してしまいました。(笑)

ありがとうございます。

返信する
雅之

>知らぬ振りの態で返答してしまいました。

それだったら少しは触れてくれないといけません。おかげで朝の貴重な時間を大いに損しました。

パロディにはパロディで返してくれるぐらいでないとね(笑)。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む