ナディア・ブーランジェの知られざる音楽「オルガンのための作品集」(2016.10録音)ほかを聴いて思ふ

いつも音が聴こえます。いつも音のことを考えています。
ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P78

ナディア・ブーランジェにとって音楽とは命を賭けるもので、中途半端で生半可な手段ではなかったようだ。それなのに可憐。そして、どの瞬間も透明感溢れる。(それはもちろん若い頃の作曲作品が大半だからだろうが)
時に暗い感情に包まれようと、無心の、赤子のような魂に包まれた音楽がある。

真の指導者には「我」がないのだと思う。
なぜ人が集まるのか?夢を捨て、後進の育成に身も心も捧げようと決意したとき、そしてその志をもとに具体的に行動を起こしたとき、それが世界に必要なことであるなら望みは確実に現実化するのだろう。人が人を呼ぶのではなく、大望が人を呼ぶのである。

ナディア・ブーランジェの残した音楽作品は決して多くはないが、ひとつひとつがそれこそ愛に満ちるヒューマニスティックな音調を醸す絶品揃い。例えば、オルガンのための「3つの小品」は、後に夭折する、不治の病に冒された妹リリへの回復を願う思慕なのかどうなのか、簡潔でありながら温かな祈りに溢れるもの。この崇高でありながら、極めて個人的な感傷を映す小さな音楽たちが、僕たちの心に及ぼす影響たるやいかばかりか。

教え子を愛しております。教えることも好きです。教えることは、狂おしいほどの喜びです。聞いて理解しなければなりません。そして、彼らが自分を表現するよう導くのです。
~同上書P209-210

最晩年に彼女が語ったこの言葉は実に感動的。
確かに彼女には教師としての大いなる魅力があったのだろう。
厳格だったと言われるその指導には、音楽そのものに対する尊崇の念以上に、人間に対する何ものにも代え難い愛があったことは間違いない。

ナディア・ブーランジェの知られざる音楽
ピアノのための作品集
・新たなる人生へ(1916)(2016.7.28録音)
・3つのピアノ小品(1914)(2016.7.28録音)
ルーシー・マウロ(ピアノ)
チェロとピアノのための作品集
・3つの小品(1914)
アミット・ペルド(チェロ)
ルーシー・マウロ(ピアノ)(2016.9.10録音)
オルガンのための作品集
・3つの小品(1911)
・フラマン民謡による小品(1915)
フランソワ=アンリ・ウバール(オルガン)(2016.10.12録音)

ピアノ曲「新たなる人生へ」は、悲哀と愉悦の両方が同居する、まるでモーツァルトのような美しい音楽。また、世界初レコーディングであるピアノのための「3つの小品」には、明らかにドビュッシーからの影響が垣間見られ、その旋律などは後のポピュラー音楽と相似する魅力を湛える。
そして、チェロとピアノのための「3つの小品」における、チェロの虚ろな旋律とピアノの玉を転がすようなきれいな音色の伴奏の融け合いに、ナディアの心の内側にある相克する虚実が反映されているようで、聴いていて切なくなる。

他人に聴かせることを想定していないような、とても個人的な音楽たち。
だからこそ虚心に耳を傾ければ、ナディア・ブーランジェの本心が確認できるのである。
それらは硝子細工のように壊れやすく、(一条の光に照らされ)隅から隅まで美しい。

 

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2 COMMENTS

雅之

>真の指導者には「我」がないのだと思う。
>なぜ人が集まるのか?夢を捨て、後進の育成に身も心も捧げようと決意したとき、そしてその志をもとに具体的に行動を起こしたとき、それが世界に必要なことであるなら望みは確実に現実化するのだろう。>人が人を呼ぶのではなく、大望が人を呼ぶのである。

>それらは硝子細工のように壊れやすく、(一条の光に照らされ)隅から隅まで美しい。

なぜか「白瑠璃碗」が目に浮かびました。

http://shosoin.kunaicho.go.jp/ja-JP/Treasure?id=0000011989

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