グレン・グールドの「20世紀カナダのピアノ音楽」(1966-67録音)を聴いて思ふ

「レコード芸術」1982年12月号は、グレン・グールドを追悼する記事で一色に染まっている。執筆者だけではない。愛好家の投書までもが稀代のピアニストの早過ぎる死を悲しみ、それぞれの想い出が語られているのである。

「今世紀最大のピアニスト」というのがグレン・グールドの死を報じた或る新聞の見出しであったが、私はそれをみた時、本人がきいたらあの細い体を余計ちぢめるようにしてやり切れない表情をするのが目にみえるような気がした。
彼は人並みすぐれた鋭敏な音楽的感覚と抜群の才能とを併せ持った二十世紀で最もユニークなピアノ演奏家であったと言えば、黙って静かな微笑みを浮かべてくれるかも知れない。
朝比奈隆「グレン・グールドを偲ぶ」
P184

朝比奈御大の優しさ。

リパッティほど若死にではないが、五十歳というのはやはり夭逝である。彼の天才性は始めから認められたが、五十歳で急逝されると、感情移入ではなしに、やはり天才は早く死ぬ運命からついに逃れることができないのか、という感傷の波がどっと押し寄せてくる。彼の訃報に接したとき、冷たい水が脊髄を下から上へ貫通し、脳髄に到達したのだった。
鍵谷幸信「天才は夭逝する」
P185

鍵谷さんの愛情。

それはともかく、ありふれた言草だが鬼才と言われたグールドが、これほど早く逝くとは、死神も罪なことをなさるものだ。もしかすると、鬼才であり続けることの緊張に堪える限界がきていたのかもしれないし、それだったら、今はもうその緊張から解放されて、ホッと一息入れているかもしれない、という感じも一瞬心を過るが、それにしても、もう、あの呻り声も聞けないとは・・・。
村上陽一郎「〈ゴルトベルク〉は自らへの挽歌」
P187

そして、村上さんの落胆。

それぞれ、鬼才、天才と、もっと他の相応しい表現が出ないものなのかと思うほど、手放しの賞賛でありながら、いかにもありふれた言葉が並ぶ。その死から35年近くを経た今でこそグレン・グールドというものをより客観的に評することができようが、直後は本当に誰もがその事実が信じられず、動転したことがうかがえる。
ちなみに、「読者投書箱」の欄にも以下のような感想が並ぶ。いずれもが、その冒頭からもう言葉にならないショックを受けていることが手に取るようにわかるのだ。

あのグレン・グールドの突然の死を知ったのは、十月五日、某テレビの昼のニュースにおいてであった。リヒター、ベーム、コンドラシンと相次いで偉大な音楽家が世を去り、そのショックがさめやらぬうちに今度はグールドが逝ってしまうとは・・・。好楽家にとってまさに受難の時代である。
P234

「グレン・グールド氏死去」というのが、十月五日付夕刊のニュースである。
信じられない。というより信じたくないのだが。誤報であった、とか、悪趣味なジョークでした、とかいうことであったら。彼が死ぬなんて考えたこともなかった。まだ五十歳である。
ジョークでした、と言われたいから、これ以上くどくど考えたくないのだが・・・。とにかく生きる楽しみの重大なひとつが、決定的に欠けてしまった、と思う。
P235

世界の音楽ファンを虜にしたグレン・グールドの魔法。
これほどに影響力のあるピアニストもなかなかいまい。
ところで、グールドのコンサートを聴き、レコーディングを見聞したことのある数少ない日本人の一人であった、当時ソニーの社長大賀典雄氏も「私が見たグールド」と題し、次のようにインタビューに応えられている。

休憩の時、中に入ってグールドとお喋りしたんだけど、その時使っていた椅子を見たら、ベルリンの時とは違った驚きがありました。低いのは例の通りでしたが、その椅子は中のパンヤ、臓物が全部なくなって、木の枠だけなんです。かろうじて上に毛皮が一枚敷いてある。こんな椅子に長い間坐っていたら痛くって仕方ないだろうと思ったけれど、そうじゃないと安心して弾けないというほど神経質なんです。
P183

枕が変われば眠れないというのはいかにも彼らしい。
それほどに鋭敏なセンスを持つピアニストの現代音楽に対する対処法は、実に正統であり、いずれの演奏も集中力に富む。

20世紀カナダのピアノ音楽
・モラヴェッツ:幻想曲ニ短調(1948)(1966.6.27&28録音)
・アンハルト:ピアノのための幻想曲(1954)(1967.7.25録音)
・エテュ:ピアノのための変奏曲作品8(1964)(1967.8.11録音)
グレン・グールド(ピアノ)

グールドに献呈されたというモラヴェッツの幻想曲は、知的な音調でありながら感情の奔流までもが垣間見えるバランスのとれたもの。激しさと柔らかさが同居する秀作であり、グールドの解釈も確信的。また、アンハルトの作品には、ほんの一瞬ブラームス的な方法が木霊し、聴く者をハッとさせる。そして、エテュの変奏曲の古を髣髴とさせる構成美。
グレン・グールドはやっぱり唯一無二の天才。

 

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2 COMMENTS

雅之

今回に限らず、昔話をされるのは高齢者の特権ですから、じつに幸せで結構なことです(笑)。

グレン・グールドくらいの巨星扱いをされないながらも、ビエロフラーヴェクとかジェフリー・テイトといった、好き嫌いとは別として馴染みの音楽家がこのところポツポツ相次いで亡くなっているのも、じわじわ一抹の寂しさが増してくるものです(スクロヴァチェフスキの死は別格の衝撃でしたが)。

個人的には、野際陽子さんが亡くなったのもショックでした。私にとって彼女は、女優としてよりも、芥川也寸志とともにパーソナリティを長年務められた中波のラジオ番組「百万人の音楽」が忘れられません。中学生から高校時代にかけてよく聴いていて、音楽の話題をあらゆる角度から楽しませてもらいました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%B8%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E9%9F%B3%E6%A5%BD

つくづく人の一生なんて水滴みたいなものですね。その水さえも、植物の光合成などによって分解させられたり生成させられたりするのですが・・・。

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岡本 浩和

>雅之様

>昔話をされるのは高齢者の特権ですから、じつに幸せで結構なことです

ありがとうございます。(笑)
僕にとって野際さんは「キイハンター」の人でした。当時、僕はまだ保育園児でしたが、園でキイハンターごっこが流行っていたことを思い出します。テーマ音楽も本当に懐かしいです。
50年近くも前の記憶がまざまざと蘇ることが何より不思議です。

>人の一生なんて水滴みたいなもの

ちっぽけで儚いですね。

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