山奥育ちのせいなのか、都会の喧騒は決して得意な方ではない。
人と会うことが仕事なのだけれど、人一倍一人の時間を僕は必要とする。
大勢の人が集まるコンサートホールも、苦手といえばそう。できることならひとり静かに音楽に浸りたいと切望するが、とはいえ、人の息と自然音が溢れる実演こそが音楽を聴く醍醐味であることをまた知っているゆえ、足繁くホールに通う。
人間とはやっぱり矛盾の中にある生き物なんだと思う。
19世紀のパリの賑わいとは、一体どんな風だったのだろう?
セーヌの寒い岸辺から、ガンジスの火の岸辺まで、
死を背負う家畜の群れは踊り狂っているけれど
真黒いラッパ銃ほど気味悪い大口あいて、
「天使」のラッパが天井の穴にあるのに気付かない。
おかしい極みの人間よ、何処へ逃げても隠れても、
「死」は貴様らの、踊る姿の笑止さに感心しては、
時々、貴様ら同様に、蘭奢待身に焚きこめて、
貴様らの狂態に、自分の風刺を交ぜるのだぞ!
「死の舞踏」
~堀口大學訳「ボードレール詩集」(新潮文庫)P123-124
シャルル・ボードレールの客観の眼。
生きることはすなわち死に直面することなのだとでも言うのか。
シャルル・デュトワが棒を振ったジャック・オッフェンバックのバレエ音楽「パリの喜び」は、快濶で明朗な響きながら、どこか不吉で暗い音調が特長的。それは、編曲者であるマヌエル・ロザンタールの趣味によるものなのかもしれない。特に、終盤の有名な「カンカン」の、死の匂いに塗られた色彩は死神の狂奔のよう。僕たちは決してそこから逃れることはできないのだ。
・オッフェンバック:バレエ音楽「パリの喜び」(ロザンタール編曲)
・グノー:歌劇「ファウスト」~第5幕バレエ音楽(1860年/69年版)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1983.9録音)
あるいは、グノーの「ファウスト」からのバレエ音楽では、絢爛豪華で濃密な夢見る響きの中に、メフィスト的誘惑の色調が垣間見られ、デュトワの棒の冴えとモントリオール交響楽団の絶妙な演奏力を思い知る。
愛の神、腰かけたるよ、
「人類」の髑髏の上に、
冒瀆の、こ奴は笑う、
恥もなく、これな玉座に
楽しげに、吹くシャボン玉、
舞いあがり、
空の奥、
別世界まで、届かんず。
「愛の神と髑髏」
~ボードレール/堀口大學訳「悪の華」(新潮文庫)P278-279
生と死とは、やっぱり表裏なのである。
メロディ・メイカー、オッフェンバックの面目躍如。
偶々だけれど、今日は彼の198回目の誕生日らしい。
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>19世紀のパリの賑わいとは、一体どんな風だったのだろう?
>「死の舞踏」
>生と死とは、やっぱり表裏なのである。
そういえば、バレエ関係者が近くにいるせいか、フランスの作曲家アドルフ・アダンの「ジゼル」(初演1841年6月28日 パリ・オペラ座)が好きです。解釈をめぐっては様々あって面白いです。酒の席でレクチャーを受けてきたので、自然と相当詳しくなってしまいました(笑)。
https://www.amazon.co.jp/Giselle-Blu-ray-Royal-Opera-House/dp/B00M428E4G/ref=sr_1_14?s=dvd&ie=UTF8&qid=1497986568&sr=1-14&keywords=%E3%82%B8%E3%82%BC%E3%83%AB
https://www.amazon.co.jp/Giselle-Blu-ray-Bolshoi-Theatre-Orchestra/dp/B0072A4H3W/ref=sr_1_6?s=dvd&ie=UTF8&qid=1497986568&sr=1-6&keywords=%E3%82%B8%E3%82%BC%E3%83%AB
>雅之様
>酒の席でレクチャーを受けてきたので、自然と相当詳しくなってしまいました
羨ましいです。
特にバレエなどは、実際に携わっている方に教えていただくと知らないことがいっぱいで、たくさん勉強になるのでしょうね。
ちなみに、「ジゼル」は音楽は知っているものの詳しくなく、舞台も残念ながら観たことがないので何も語れません。