ドホナーニ指揮ウィーン・フィルのベルク「ヴォツェック」(1979.12録音)を聴いて思ふ

強烈なティンパニの轟き。
また、金管のうるさいまでの絶叫。対して、木管の優しい和らぎ。人間感情のすべてを包括するアルバン・ベルクの歌劇の「美しさ」。時に金切声をあげるマリーの壮絶な歌は、僕たちの肺腑を抉る。

「ヴォツェック」は、少なくとも映像で鑑賞するべき作品であると僕は思うのだが、舞台は自身の想像力に任せて音楽だけに集中してみるというのも乙な試み。何より発見と気づきがあり、この作品の一層の理解を喚起するところが素晴らしい。

「ヴォツェック」のクライマックスを築く第3幕を繰り返し聴いて思ったこと。
冒頭のマリーの独白の音楽は実に旋律的で、しかも悔悟の念を含む彼女の深層が見事に音化されており、完璧だ。アルバン・ベルクの才能。何より第5場場面転換の緩やかに奏される音楽の共感の深さに心を打たれる。

廻れ、廻れ、数珠の輪になって、廻れ!
廻れ、廻れ、数珠の輪になって、廻れ・・・

歴史は繰り返す。否、目には目をという悲惨な人間の歴史はどこまでも終わることがなく、その輪廻を抜け出し、魂の解決を目指せと子どもたちに諭されるよう。愚かな人間よ、目覚めよと。人間世界の奇怪なこの物語が、方や自然の大いなる営みの中で起こっていることを考えると、随所に引用される楽聖の「田園」交響曲のモチーフの意味深さがより理解できる。

アニヤ・シリヤの巧さが光る。

お前!お前の母ちゃん、死んじゃったよ!

哀しくない、むしろ喜びさえ感じさせる台詞・・・。

・ベルク:歌劇「ヴォツェック」作品7(1979.12録音)
アニヤ・シリヤ(マリー、ソプラノ)
エーベルハルト・ヴェヒター(ヴォツェック、バリトン)
ヘルマン・ヴィンクラー(鼓手長、テノール)
ハインツ・ツェドニク(大尉、テノール)
アレクサンダー・マルタ(医者、バス)
ゲルトルート・ヤーン(マルグレート、アルト)
アルフレート・スラメク(徒弟職人1、バリトン)
フランツ・ヴェヒター(徒弟職人2、バス)、ほか
・シェーンベルク:モノドラマ「期待」作品17(1979.9録音)
アニヤ・シリヤ(一人の女、ソプラノ)
クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

続いてシェーンベルクのモノドラマ「期待」。
30分ほどの、独りのソプラノのための、緊密かつ不要なものが削ぎ落とされた完全な世界。まさに龍安寺の蹲踞にみる「吾唯足知」の体現。

ああ、あなたはそこにいる。私は探していた・・・。

唐突に終わる、最後の情感豊かで揺れの激しいアニヤ・シリヤの絶唱は、筆舌に尽くし難い。ここではもちろん、ドホナーニの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の芳醇な響きがものを言う。
音だけに触れるがゆえの快感。視覚を伴わないオペラにあるカタルシス。それだけ僕たちは意識を集中するのである。

※「ヴォツェック」の歌詞対訳はサイト「オペラ対訳プロジェクト」より引用。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村


4 COMMENTS

雅之

>音だけに触れるがゆえの快感。視覚を伴わないオペラにあるカタルシス。それだけ僕たちは意識を集中するのである。

根底には、オペラは視覚に頼らないのが、より高尚な鑑賞方法だとでもおっしゃりたいのでしょうが、岡本様よりもさらに「意識高い系」の私としては(笑)、「オペラは聴覚に頼らないのが最も高尚な鑑賞方法だ」と、あえて主張したいものです(笑)。

「ヴォツェック」/Universal Edition Ag. /スコア

http://webshop.yamahamusic.jp/import/products/detail.php?product_id=39403

体験上、スコアコレクションの最大の問題点は、古書として買い取ってくれる古本屋が極めて少なく処分しにくいこと。それでも、CDより(おそらく)保存耐久性が遥かに上なのは長所です。

なお、私の「ヴォツェック」初体験は、大学時代に、とある市民会館で観た、ブルーノ・マデルナ指揮
バイエルン・フィルハーモニー管弦楽団他( 収録 1970年)による映画でした。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%8B%E3%83%BC%E7%AE%A1%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%A3-%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%A0%B4%E5%90%88%E5%94%B1%E5%9B%A3-%E3%83%88%E3%83%8B-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A0-%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A3-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/B00006LY2J/ref=pd_sbs_74_4?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=YB0QKADZ7K2HFDSCR9YY

当時は「何という暗い話だ」と思い、到底好きにはなれなかったオペラでしたが、その印象は基本的には今日でも変わりません。

だからこそ、何とか好きになりたいものだと、音盤よりもっと理解できないスコアと一生懸命睨めっこしていた時期が、過去にはあったのでした。あああ・・・(ため息)、でも、ヴィオラパートを完読するだけでも、確実によい体験にはなりましたよ(笑)。

返信する
雅之

>音だけに触れるがゆえの快感。視覚を伴わないオペラにあるカタルシス。それだけ僕たちは意識を集中するのである。

オペラは視覚を伴わない鑑賞が最も高尚であるとでもおっしゃりたいのでしょうが、岡本様よりさらに「意識高い系」の私としては(笑)、「オペラは聴覚を伴わない鑑賞が最も高尚である」と主張してみたくなります。

オペラ「ヴォツェック」Universal Edition Ag. /スコア

http://webshop.yamahamusic.jp/import/products/detail.php?product_id=39403

「ヴォツェック」は、大学時代に初めて接し、「何という暗い作品だ」とあきれ、到底好きになれなかったのですが、その印象は基本的に今でも不変です。

だからこそ、音盤よりも理解できないスコアと睨めっこしていた時期が過去にはあったのです。あああ・・・(ため息)、でも、ビオラパートを完読できただけでも、確実によい体験にはなりましたよ(笑)。

返信する
雅之

今朝、「ヴォツェック」のスコアについてコメントして投稿したら弾かれて、もう一度投稿したらまた弾かれて、どうせいつものようにくだらない内容なので、もうどうでもよくなりました。

小林麻央さんのブログ
https://ameblo.jp/maokobayashi0721/

のインパクトがあまりに強すぎましたので・・・。

返信する
岡本 浩和

>雅之様

どうやらスパム・コメントとして認識されてしまったようです。
折角なので、先の2つのコメントも復活させていただきました。とても貴重な言及なので。
くだらなくありません。

残念ながらスコアを正確に読めない僕には超絶ハードルが高いです。
しかし、おっしゃるように音楽の最も高尚な、意識の高い楽しみ方はスコア・リーディングなのだろうと思います。
嗚呼、その能力が欲しかった。

「ヴォツェック」はようやく最近になってわかり始めたオペラです。
暗さの中にある一条の光明を今では感じます。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む